2013年04月11日

pro-vision Reading Lesson 8

 一部の言語は十分ではないのですか
世界で話されている言語を見ると、言語の使われ方が本当に多様であることに気付く。
たいていの言語はある共同体の第一言語であり、その共同体の日常の機能を完全に果たしている。
いくつかの言語は使用範囲がより限られている。
たとえばラテン語は最近までローマ・カトリック教会内でのある特定の使われ方に、特に教会内での儀式や意志疎通という国際的行為に限られていた。
今ではラテン語の用途はさらに限定され、もともとラテン語で書かれている文学を読むために本当に少数の人々によって使われるだけとなった。
他方で日常の意思疎通よりも広範な機能を持ち、州や国家全体の統治・最高水準の教育・あらゆる種類の文学における公用語として機能する言語もある。
他にも国際的役割を果たす言語はあるが、今のところ英語がおそらくこの最たる例である。
英語は国際的な航空交通・ビジネス通信・科学的著作・観光産業の国際共通語の言語である。
残念ながらそれぞれの言語の果たす役割の範囲がまちまちなために、広範な機能を果たしていない言語は実は果たすことができないのだと信じ込む人もいる。
こうした人々の意見によれば、中には不十分な言語もあるということである。
それらの言語は科学・国際通信・高尚な文学としての役割を果たしていないだけではなく、本質的に劣っていてそうした使い方ができないというのである。
この種の意見は主要言語が少数言語と一緒に話される社会で最も明確に見られる。
この種の実例がニュージーランドのポリネシア固有の言語であるマオリ語の置かれた状況である。
言語学者は英語がニュージーランドの人口の約95パーセントの人々にとって第一言語であり、約90パーセントの人々にとって唯一の言語だと推定する。
300万を少し越すニュージーランドの人口のうち、自分をマオリ族だと考える人々は約 12 パーセントである。
マオリ語はマオリ族としてのアデンティティの中核だと見なされるが、流暢に話す人はおそらく3万人ほどである。過去半世紀程度のニュージーランドの社会的変化のために、マオリ語はその用途がますます制限され、多くの場所で今や儀礼的な慣例化された行事でしか使われなくなった。
ここ20年ほど、この傾向を改めようと政治・教育・放送業の分野で多くのイニシアチブが取られてきた。
その結果、マオリ語は今ではニュージーランドの公用語となり、テレビ放送やラジオ放送で使われ、勉強の一科目というだけでなく多くの学校と1つの大学で授業を行うのに使われる言語となった。
これらのイニシアチブが発展するにつれ、一部の人々の反応の仕方の中に、私が今述べてきたまさにその態度が、マオリ語は公用語や基礎的水準を超える教育の言語としては全然使えないというまさにその態度があることに気付くことができるようになってきた。
時々この意見の表現はこの意見が論理に基づいていないことをさらけ出す。
私は数年前のニュージーランドの新聞にあった論評を思い出すが、それはマオリ語が新しい思想を表現するのに英語から単語を借りてこなければならないから言語としては不十分であることを主張しようとしていた。
他方、英語は新しい思想を表現するのにその歴史を通じてあらゆる所からストックを引き出すことができたから非常に柔軟で生き生きした言語だと見なせるというのであった。
けれども、責務を果たしえない言語もあるとする考えに出会うのはこうした状況だけではない。
紀元前1世紀のローマの雄弁家・政治家・哲学者であったキケロが自分の哲学書をラテン語で書いたのは、1つにはギリシャ哲学をラテン語圏の読者にも分かるようにするため、また1つにはラテン語でもギリシャ哲学が書けることを示すためだった。
彼の時代の一部の人々がラテン語はギリシャ人の思想や一連の思考を表現できないと信じていたから彼はそうしたのである!
彼らの意見ではラテン語はまったく不十分だというのである。
しかしながらこの言語こそ、学問・科学・国際外交・文学における1,000年を優に超す言語になったのである。
17世紀の有名な学者であるサー・アイザック・ニュートンは彼の思想をラテン語で書いて出版した。
いわゆるお国言葉がそれまでラテン語の領域だった機能を引き継いだとき、中世末期のヨーロッパでも同様のことがまた起こった。
このとき、フランス語・英語・イタリア語・その他の新しい言語はあまりに洗練されておらず未成熟でありストックにかけているので、これらの言語は通例ラテン語やギリシャ語という古代語で表現されていた抽象的な思考や広範な知識を伝えることはできないと信じる人々がいた。
しかし今ではもうこの意見はばかげたものにしか見えない。
文学の分野でさえ、シェークスピア(彼は英語で書いた)やダンテ(彼はイタリア語で書いた)ほど尊敬されているラテン語の文筆家はいない。
現代の抽象的な思考ということとなればニュートンが例外である。
ニュートンの時代のたいていの科学者や思索家は、英語のようなお国言葉で自分の考えを表現した。
現代ではすべての科学者や思想家がそうする。
英語・フランス語・中国語・日本語が応えてきた難題に少数言語が応えられない理由などあるはずがない。
マオリ語のような言語でも広範な物事に必要とされ使われるのであれば、必ずやその言語は難題にうまく対応して十分なものになるということを、歴史と論理が私たちに教える。
Comprehension
言語にはさまざまな用途がある。
古典を読むために学ばれるもの。
共同体内の日常のコミュニケーションとして使われるもの。
英語のように日常のコミュニケーションから教育・国の統治・国際関係にいたるまで幅広く使われるもの、など。
社会で主要言語と少数言語の 2 つが並存するとき疑問が生じる。
ニュージーランドでは英語とマオリ語がその2つにあたる。
疑問とは「主要言語が使われているすべてのことにマオリ語のような言語も使えるのか」ということである。
そのような少数言語でも、社会に頼りにされれば答えはイエスとなる。
もちろん少数言語は他の言語から単語を借りるだろうが(すべての主要言語も同様だった)、最後には少数言語は統治や抽象概念やその他適用されるものすべてに使うことができるようになる。



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posted by sakai shinji at 22:49 | Comment(0) | pro-vision Reading | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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