2013年07月05日

Crown E.C.1 Lesson 8

過去を記憶できない者は、それ(過去)を繰り返さざるを得ない
 ジョージ・サンタヤナ
 それほど遠くない昔に
「20世紀を振り返って」は我々に前世紀の歴史を見せてくれる300の写真の展覧会である。
入口で、ガイドが写真を紹介している。
1
 皆さん、「20世紀を振り返って」へようこそ。
20世紀は科学と通信技術が大きく進歩した時代でした。
人々の暮らしはより豊かに、より快適になりました。
人々はより大きな自由と平等を獲得し、幸福な生活を送るという夢に、より近づいているように見えました。
 しかし、それはまた恐ろしい戦争の時代でもあり、何百万という人々が命を落としました。
これらの写真は、皆さんや私のような人々が20世紀に経験したことを、皆さんにお見せするでしょう。
それらをご覧になられたら、自問してください。「もしこれらが自分の家族や友人の写真だとしたら、どう感じるだろうか」と。
皆さんにショックを与えるものもあるでしょう。皆さんを悲しませ、また怒らせるものもあるかもしれません。
しかしそれらはまた、我々の未来のためにメッセージを与えてくれるでしょう。
展覧会をご覧になる前に、私たちにとって特に重要な2枚の写真をお見せしましょう。
2
 この1枚から始めましょう。
この写真は、1945年長崎において、アメリカの写真報道家であるジョー・オダネルによって撮られました。
彼はこの写真について日本のインタビュアーに語っています。
 「私は10歳ぐらいの通り過ぎていく少年に出会いました。
彼は背中に赤ん坊を背負っていました。
当時、日本では、幼い弟や妹を背負って遊ぶ子供たちがよく見られましたが、この少年は明らかに違っていました。
私には、彼がある深刻な理由でこの場所に来たことがわかりました。
彼は靴を履いていませんでした。
彼の表情は硬かった。
赤ん坊はぐっすり眠っているかのように、その小さな頭は後ろへ傾いていました。
 「その少年は5分から10分、そこに立っていました。
白いマスクをした男たちが彼に近づくと、赤ん坊を支えていた縄を静かにほどき始めました。
そのとき、私はその赤ん坊が既に亡くなっていることに気づきました。
男たちは赤ん坊の手と足を持って、それを火の上へ置きました。」
 「少年はそこで、動かず、炎を見つめながら直立して立っていました。
彼は下唇を強く噛んでいたので、それは血で光っていました。
炎は太陽が沈んでいくように弱くなりました。
少年はくるりと背を向け、静かに去っていきました。
3
 今度は、こちらの写真を見てみましょう。
皆さんの中には、以前この写真を見たことがある人もいるでしょう。
これは、1972年ベトナム戦争の時に撮られました。
こちらの少女、キム・フックさんは、服は焼け落ち、痛みにさらされながら、道を走って逃げています。
こちらは彼女がその経験について語ったものです。
 「私は何も聞こえませんでしたが、火に囲まれていました。
それから突然、私の服が火に焼かれ消えました。
そして火は私の体、特に腕を覆いました。
でも、足は焼かれませんでした。
私は叫びながら、火から逃げ出しました。
私は走って走って走り続けました。」
 「私は病院にいました。14ヶ月間。
私は体の半分以上の火傷を治療するために、17回手術を受けました。
そしてそのことが、私の人生を変えました。
そのことが私に、どうすれば人々を救うことができるかについて考えさせました。」
 「私の両親が新聞に掲載された私の写真を最初に私に見せたとき、私はそれがとても恐ろしかったため、自分だとは信じられませんでした。
はすべての人にその写真を見てもらいです。なぜならその写真には、戦争とはどんなものかを見ることができるからです。
それは子供には恐怖です。
私の顔にすべてを見ることができます。
私は人々にそれから学んで欲しいです。」
4
 そういうわけで、写真は私たちに多くのことを語ってくれます。
それらは私たちに過去の出来事を教えてくれます。
それらはときどき、私たちが見たくはないものを見せるかもしれません。
 20世紀は戦争の1世紀でした。
2つの世界大戦、冷戦、そして小さな戦争が世界中で起こりました。
日本のあるジャーナリストは20世紀を“苦しみの3万6千日”とさえ呼びました。
こちらにある写真に希望の兆しを見出すことはおそらく困難でしょうが、努力すればできます。
 キム・パクの話がいい例です。
非常に多くの人々からの暖かい支援で、彼女は今カナダで幸せな家庭を楽しんでいます。
彼女は言います。「私は息子に、自分の母親と母親の祖国に何が起こったかを、そして再び戦争を起こしてはならないということを教えなければなりません。」と。
 戦争を再び起こしてはなりません。
これが本日、私たちがこの展覧会の写真を通して皆さんに届けたいメッセージです。
私は、これらすべてのことは、それほど遠くない昔に起きたのだという考えを皆さんの中に残したい。

 トランクからのイメージ
 ジョー・オダネル(1922-2007)は、原子爆弾による破壊の後に、広島と長崎を訪問した最初の外国人だった。
彼は、23歳の海兵隊の軍曹であり、爆撃の効果を記録するよう派遣された。
彼は、破壊された都市の写真を撮りながら、1945年9月から1946年3月まで、7カ月を日本で過ごした。
 アメリカへ戻ると、オダネルは、ホワイトハウスの写真家として新しい生活を始めた。
彼は、日本から写真を持ち帰ったが、それらをトランクに入れると、決して開けまいと決心し屋根裏に置いた。
トランクは、鍵が掛けられ屋根裏に置かれたままだったが、オダネルの長崎と広島での記憶は彼の中にとどまった。
1989年、彼は、もう自分の感情から逃げられないことに気づいた。
彼は、トランクを開けることにした。
写真を見ているときに、彼は、核戦争の惨事について自身の声明を出さねばならないと決意した。
 彼は言う。
 「誤解しないでください。私はアメリカ人です。 私は祖国を愛しています。だから祖国のために戦いました。  しかしながら、自国が他国に対して不正をするなら、はっきりと言わねばなりません。 
 アメリカの退役軍人は私の言うことを理解しません。
 私はそこにいました。 私は広島と長崎の灰の中を歩きました。 
 日本の軍隊は中国、日本、そして韓国、その他の場所で多くのひどいことをしました。
 しかし、小さい子供は何もしていないということがわかりませんか?
 私が話すのは彼らのためです。 彼らとその母親は、戦争に勝つために死ぬべきではありませんでした。
 1945年に、あってはなりませんでした。 2045年にも、あってはならないでしょう。
 決してあってはならない。決して正しくない。
 歴史は、それを繰り返しがちです。 二度とそれを繰り返してはいけません。」と。
 オダネルが70代のときに、日本を訪れ、展示会で彼の写真を見せる機会があった。
写真はまた、アメリカとヨーロッパで展示された。
彼は2007年8月9日、85歳で亡くなるまで、その任務を遂行し続けた。


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タグ:crown 和訳
posted by sakai shinji at 18:02 | Comment(2) | Crown E.C.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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