2013年09月28日

Polestar E.C.1 Lesson 5

 私たちがミュージックチャートで聞くメロディーは、しばしばまったく新しいものだが、ここで見られるように、ときどき古いメロディーが大ヒットとなる。
1
 アメイジング・グレイスは、非常に人気のある曲だ。
それは、何百万人という人々が少なくとも一度は暮らしの中で聞いている。
日本で、おそらく最も有名なバージョンは本田美奈子のものであった。
2003年の発売から2年後、美奈子は病院に入院した。
彼女は白血病を患っていた。
病院で、美奈子は、ボイスレコーダーにその歌を録音した。
それは、同じ病院にいる友人を元気づけるためだった。
少し後の、2005年11月に、美奈子は亡くなった。
彼女の要望に応じて、あるコマーシャルが骨髄バンクのために作られた。
コマーシャルでは、彼女のボイスレコーダーにあったアメイジング・グレイスのバージョンが使われた。
多くの人々が彼女の美しい声に感動した。
しかし、ほとんどの人が歌の背後にある意味を知らなかった。
アメイジング•グレイスの歌詞は、もともと18世紀に、ジョン•ニュートンと呼ばれるイギリス人によって書かれた。
彼がこの賛美歌を書いた理由は、むしろ興味深く予期せぬものである。 
2
 ジョン•ニュートンは、1725年、ロンドンで、船長の息子として生まれた。
11歳の時、彼は父親と一緒に海に出始めた。
彼は大人になると、奴隷貿易の仕事を見つけた。
彼は奴隷をアフリカの西海岸から新世界へ連れて行った。
 当時、奴隷取引は合法だった。
ニュートン自身、その仕事を悪いとは少しも思わなかった。
1748年、22歳の時、ニュートンは人生を変える出来事を経験した。
それは大西洋で、激しい嵐のときに起きた。
彼の船は、今にも沈みそうだった。
彼は人生で初めて、神に呼びかけた。「主よ、私たちにどうかご慈悲を!」 
結局、嵐は通過し、船はどうにかアイルランドにたどり着いた。
ニュートンはそれが奇跡のように思えた。
3  
 ニュートンは、彼が神の加護の結果(として)生き延びたと信じていた。
彼は上陸すると、まっすぐに教会に行き、洗礼を受けた。
その後、彼の神への信仰は、徐々に増し、自分の罪を後悔し始めた。
彼はまた、彼の仕事で出会った奴隷に同情を感じ始めた。
 30歳のとき、ニュートンは脳卒中を患った。
医者は船乗りとしての人生をあきらめるよう彼に言った。
彼は収税官として働いたが、幸せではなかった。
ニュートンは、自分自身よりもむしろ神に仕えるべきときが来たと感じた。
1764年、ニュートンは、英国の地方にある小さな村、オルニーで聖職者となった。
この頃、ニュートンはキリスト教のメッセージを人々に伝えるために、多くの賛美歌を書いた。
彼は海での奇跡的な救出の記憶を決して忘れなかった。
彼がアメイジング・グレイスの有名な歌詞を書いたとき、それは彼の中のイメージだった。
4
 アメイジング•グレイスのもとの歌詞は1779年に出版された。
それらは、賛美歌の作品集である『オウルニー賛美歌集』の一部だった。
しかし、彼自身の生涯で、アメイジング・グレイスは、今日我々が知っているメロディーでは歌われなかった。
その美しいメロディはずっと後に使われた。
それがどこから来たのかは明らかでないが、多くの人々が、その起源は、アメリカ南部のゴスペルの歌にあると考えている。
それは奴隷たちの間で非常に人気があり、徐々に国中へ広がった。
1970年に、ジュディ•コリンズによる録音は、グローバルヒットとなった。
1987年、日本では、白鳥恵美子がこの曲でヒットした。
それ以来、他の多くのバージョンが本田美奈子を含む他の有名な歌手によって作られてきた。
そのメロディーの美しさは、この曲が時間と場所の枠を超えて生き続けるのに役立つ。
アメイジング•グレイスが、この先長い間にわたって、何百万人もの心に生き続けることに、疑いはない。



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2013年09月13日

Polestar E.C.1 Lesson 4

1
 宝はしばしば予期せぬ場所に隠されている。
例えば、東京は、広大な油田を持っている ― 染谷ゆみという女性によると。
しかし、オイルとは通常のものではない。
それは、家やレストランで使用された天ぷら油のことである。
日本では毎年、20万トンもの使用済み天ぷら油が一般家庭によって捨てられている。
由美は、「すべての家やレストランはよく油井である!」と言う。
染谷ゆみは、1968年、東京に生まれた。
(彼女の)父は祖父が立ち上げたリサイクル会社を経営していた。
高校時代、ゆみは陽気な生徒だったが、それでもすべてのティーンエイジャーが直面する問題を経験していた。
卒業後、ゆみはどの道へ進むべきかがわからなかったので、1年かけてアジアを回る旅に出た。
その旅行で、彼女は人生を変える経験をした。
2
 1987年8月、ゆみはチベットの小さな村に到着した。
彼女が到着した直後、村人たちは突然、あらゆる方向へ走り出した。
由美は大きな轟(ごう)音を聞いた。
一瞬のうちに、彼女が歩いてきた道が巨大な地滑りで消えた!
 由美は、後で、これが“自然災害”でないことを村人から聞いた。
むしろ、 それは人間の行いの結果であった。
彼女はショックを受けた。
由美は、かつて山の人々は、彼らだけで如何に静かに暮らしていたかを聞いた。
その後、新しい人々がやってきて、多くの木を伐採し始めた。
環境への影響は壊滅的だった。
 日本に帰国してからの数年間、由美は違う仕事をしてみたが、それらに満足しなかった。
彼女は家に戻り、家業を手伝うことに決めた。
彼女の父親は驚いたが、彼女は環境動向について熱く語った。
「環境は今やビッグビジネスよ」と、彼女は父に言った。
1991年に、由美は、父の会社に入社した。
3
 1992年、由美の父親は大豆から燃料を作ることについて論文で読んだ。
彼は同じことが天ぷら油でできることを確信した。
6ヵ月の実験の後、彼はついに成功した。
彼の車は、新しい燃料で完璧に走った ― それは奇跡のようだった!
それはすぐに注目を集めた。そして、1995年、東京の自由が丘商店街は、彼の燃料を彼らのバスに使用する計画を発表した。
 これは絶好の機会になるだろうと思われた。
しかし、事はそう簡単ではなかった。
解決すべき法律上の問題があった。
市役所との会談は、延々と続くように思われた。
しかし、環境問題への懸念が増すにつれ、状況が変わり始めた。
ついに、1997年、商店街のバスに新しい燃料を使用する許可が与えられた。
4
 同年、ゆみは新しい燃料の普及を促進することに集中するため、自分自身の会社を設立する決心をした。
2010年までには、会社はおよそ5,400のレストランと100の“収集ステーション”から油を集めていた。
毎朝、トラックが使用済み天ぷら油を収集しに出発した。
トラックが使用する燃料はもちろん、新燃料だった。
その事業は大成功だった。
 世界中の人々がゆみの活動を賞賛し始めた。
実際、 2009年に、TIME誌は30人の“環境の英雄”の一人として彼女を選んだ。
彼女の現在の目標は、東京のあらゆる領域から使用天ぷら油を収集することである。
この驚くべき女性は、会社の20周年である2017年までに、これを達成しようとあらゆる努力を払っている。

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2013年09月11日

Polestar E.C.1 Lesson 3

 時に、夢を実現することはとても困難だ。
しかしながら、ここでは、夢を実現させた人について読んでみよう。
1
 石川直樹は、外国の場所について学ぶのが大好きな高校生だった。
彼はよく、自分自身の海外冒険を想像をした。
 ある日、世界史の授業で、先生が自分のインド旅行について語った。
直樹はインドで食べられていた奇妙な食べ物や、いつも混雑していた通りの話に心を奪われた。
彼は自分も行きたい、すぐにでも、と強く思った。
 直樹はアルバイトを見つけ、お金をすべて貯め始めた。
彼の両親は彼の計画を心配していたが、彼は決意していた。
1994年の夏休みに、彼は小さな黒いバックパックをもって、冒険の旅へ出た。
2
 直樹はインドで見たものに驚いた。それは、ガンジス川に浮かぶ死体、路上で生活する子供たち、自由に闊歩する牛や象などであった。
これは日本とはどれほど違っていたことか!
彼のインドでの冒険は、彼の目を世界へと開かせた。
彼は日本へ帰ると、日本人の暮らし方を、独特な視点から見るようになった。
 大学へ入学した後も、直樹は休みに旅行することを続け、写真に真剣に取り組み始めた。
彼にとって写真は、単に旅を記録する手段ではなかった。
それは物事を発見する手段だった。
彼は、旅から帰っては、自分が撮った写真を見て、新たな発見をしたものだった。
3
 2000年に、直樹は「極から極へ2000」と呼ばれるプロジェクトに参加した。
このプロジェクトでは、国籍がほとんど異なる8人の若い男女が、北極から南極まで移動した。
彼らが使ったのは、自力のみ、すなわち、スキー、サイクリング、カヤック、ウォーキングである。
旅行中、彼らは定期的に、「愛と憎みのセッション(会合)」と呼ばれるミーティングを行った。
これらのセッションで、彼らは、他のメンバーの好きなところと嫌いなところを正直に打ち明けた。
他者の性格について学ぶことは、彼らが不必要な争いを避けるのに役立った。
 彼らの旅行中、直樹は記事を書き、自分のウェブサイトに、写真付きでそれを掲載した。
世界中の人々が、彼のウェブサイトを訪問し、彼の冒険を共有し、日常生活を超えた何かを学んだ。
2000年、12月31日、直樹は雪に覆われた南極点に、誇高く立った。
それは、新しい年の幕開けの、素晴らしい祝い方だった。
4
 2001年、5月23日、直樹は再びとても特別な場所にいた。そう、エベレストの頂上、世界最高峰である。
彼は、世界七最高峰、すなわち、世界七大陸で最も高い山のうち、他の六つをすでに登り終えていた。
風は穏やかだった。そして、空は鮮やかな青色だった。
彼はぐるりと見回した。
地球上のどこにも、ここより高いところは無かった。
信じられない感覚だった。
 直樹は旅を続け、世界を探検した。
彼は、冒険家としてだけではなく、写真家としてもよく知られるようになった。
2010年のインタビューで直樹は、「私には、行ったことも、見たこともない場所が、まだまだたくさんあるのです。」と、言っている。
石川直樹のような探検家にとってさえ、世界はとても広く、そして大きい。
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