2014年03月09日

Polestar E.C.1 Lesson 8

 化石燃料を燃焼させることによって、我々はあまりにも多くの二酸化炭素を生産している。この問題を解決するため、人々は何をしているだろうか? 
1
 大抵の科学者は現在、地球温暖化は本当であることに同意している。 
地球の温度は、年々危険なレベルにまで上昇し続けている。 
主な原因の1つと考えられているのが、化石燃料の使用である。 
このような燃料に依存し続けるよりも、もっと環境にやさしいエネルギー源を多くの人が探し求めている。 
 このようなエネルギー源の1つが、太陽光発電である。 
それは、温室効果ガスを発生しないので、環境に優しい。 
また、太陽はエネルギーの無限のエネルギー源である。 
したがって、我々のエネルギー問題に対する優れた解決策になると思われる。 
 太陽光から電気を発電させる唯一の問題は、費用である。 
かつて、他のエネルギー源から発電された電気よりも、1ワット当たり10倍もの費用がかかっていた。 
新しい技術により、今ではずっと低いコストで発電できるようになった。 
実際、世界では、太陽光発電が従来の形態に取って代わり始めている地域もある。
2
 例えばスペインを見てみよう。
この国はたくさんの太陽光を得られるので、スペイン政府と電力会社は巨大な集光型太陽熱発電(CSP)所を開発した。
これらの発電所の一つは、安価なコストで中規模の都市へ十分な電力を供給することができる。
 他の欧州諸国もスペインのように日光が豊富なら、集光型太陽熱発電(CSP)所を建設しただろう。
実際、他の国々はそれほど日光に恵まれていない。
これにより、これらの国々のなかには、他の国、すなわち太陽光の豊富な国に目を向けたところもある。
 ドイツ企業によって設立された欧州のある企業グループは、野心的な計画を打ち出している。
それは、北アフリカの砂漠に集光型太陽熱発電(CSP)所を建設することである。
この場所には利点がある。
例えば、そこでは太陽がほぼ毎日輝く。
また、発電所建設によい多くの土地がある。
企業グループは、この地域一体に1000基の集光型太陽熱発電(CSP)所を建設することができるかもしれないと言っている。
3
 もし、集光型太陽熱発電(CSP)所がそこに建設されるなら、それらは必ずスペインのものより規模が大きくなる。
その発電所はどのようなものだろうか?
すべてそのような発電所は、約1平方キロメートルの敷地に建設される。
それぞれに数百の巨大な反射鏡がある。
これらは、水で満たされた1つの金属の塔に太陽光を集中させる。
この水は、摂氏100度をはるかに越えて熱せられる。
これは、タービンに電気を発生させる水蒸気を生成する。
 北アフリカからの電気は、海底ケーブルによってヨーロッパへ送られる。
これは、EU諸国に必要な電力の6分の1を供給することができる。
 集光型太陽熱発電(CSP)所はまた、北部アフリカの人々に、彼らが必要とするものを提供することができる。すなわち、新鮮な水である。
蒸気はタービンを回した後、別の仕事、今度は、海水を沸騰させるのに使用される。
海水は、後に塩を残して、水蒸気になる。
水蒸気が冷めると、新鮮な水になる。
4
 集光型太陽熱発電(CSP)計画には賛否の両論がある。
それを支持する人々は、発電所が建設されれば、それらはヨーロッパとアフリカの両方にとって良いことだろうと言う。
ヨーロッパの人々は、今日のように化石燃料にそれほど依存しなくなるだろう。
アフリカの人々は、より多くの雇用とより多くの新鮮な水を得るだろう。
それに反対する人々は、ヨーロッパとアフリカは遠く離れているので、エネルギーの一部が途中で失われるだろうと言う。
その上、発電所はテロリストの攻撃には格好の標的となるかもしれない。
集光型太陽熱(CSP)発電所計画は、別の南北格差を生み出すと言う人さえいる。すなわち、豊かなヨーロッパ諸国が、再び貧困のアフリカ諸国を利用するようになると。
 その 計画にはさまざまな意見があるが、最も重要な問題は、地球温暖化にどう対処するかである。
明らかに、集光型太陽熱発電(CSP)計画は、最高の解決策の一つである。
もし、集光型太陽熱発電(CSP)計画が、首尾よく実施されるならば、私たち人類は、環境に配慮した世界に向けて更なる一歩を踏み出すことができる。



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posted by sakai shinji at 10:39 | Comment(0) | Polestar E.C.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月05日

Polestar E.C.1 Lesson 7

 都市や河川、あるいは山を探したいとき、私たちは地図を見る。
しかし、誰がそれらを作ったのだろうか?
ここでは、日本地図の初期の製作者について読むことにする。
1
 伊能忠敬(1745-1818)は、江戸時代の地理測量家だった。
彼は、日本全体のまとまった地図を作ろうと努力した最初の日本人だった。
彼が作った(地図である)、大日本沿海輿地全図は、「イノウマップ」とも呼ばれる。
それらを作るために、伊野は日本全国を測量しなければならなかった。
17年間にわたり、彼は44000キロ近くを旅した。
それは、地球を一周するよりも長い!
 彼の地図は、現在の基準でも正確であった。
日本を訪れた外国人旅行者はそれらを見て驚いた。
しかし、私たちが忘れてならないのは、彼が近代的な技術なしで測量をしたということだ。
測量用の電子機器は19世紀には存在しなかった。
彼は方位磁石と巻尺のような単純な機器を使用していた。
彼はまた、一定の歩調で歩く訓練をした。
これは、彼が海岸のように困難な場所で測量するのに役立った。
2
 彼は現在の千葉県のある地域に生まれたが、彼の境遇は幸運ではなかった。
幼少の頃、母親を亡くし、父親の職探しは難航した。
伊能には、読み書きおよび算術などの、基本的な科目を勉強する機会がほとんどなかった。
彼は12歳になるまで、きちんと数学を勉強したことはなかった。
 18歳の時、彼は伊能家の養子になった。
それは彼の人生のターニングポイントとなる出来事だった。
伊能家は、その地域で有力な家だった。
彼らは醸造や米の取引で家業を営んでいた。
彼は事業に貢献し、徐々に大きな商業的成功を収めた。
彼は村長となり、地位の象徴として帯刀を許された。
 彼は家族や村のために懸命に働いたが、学ぶ意欲を失わなかった。
暇があれば、彼は中国の古典、高等な数学、天文学を勉強した。
3
 1795年、伊能は息子の伊能景隆に家業の経営を継がせた。
彼が次にしたことは、周囲の人を皆驚かせた。
50歳にして、彼は生涯の夢を追求するため江戸へ赴いた。
彼は、徳川将軍家の天文学者である高橋至時の下で学ぶことにした。
伊能は高橋より19歳年上だった。
彼はすでにカレンダー作りや天文学を独力で学んでいた。
しかし、彼にはまだ学ぶべきことがたくさんあった。
高橋や他の学者たちは、「新しい」科学や西洋の測量法を学ぶことに、長い年月を費やしていた。
伊能は、この知識を得ることにとても熱心だった。
 彼は非常に意欲的で有能な学生だった。
彼はまた、他のほとんどの学生が持っていないものを持っていた、すなわちお金である。
成功した実業家として、彼はたくさんのお金を貯蓄することができていた。
これにより彼は高価な本や測定機器を買うことができた。
高橋の下で、伊能は優れた成果を挙げ、5年で学問を修了した。
4
 この頃、徳川幕府は、日本の北部を探索したいと考えていた。
伊能は全域を測量する計画を提案した。
彼は、測量を自費でやると申し出た。
幕府は彼の計画に同意した。
 1800年6月、彼は弟子を引き連れ、機材を携え、北へ向かって江戸を発った。
これが地域測量のための多くの旅行の最初となった。
土地測量や地図を描く作業は4年間続いた。
1804年、ついに、彼は日本北部の地図を幕府に提出することができた。
幕府の役人は、地図の精度の高さに驚いた。 
彼らは、日本の他のすべての地域の地図を作るよう彼に頼んだ。
 彼は喜んでその仕事を受け入れた。
残念ながら、彼はそれを完成することなく、1818年に亡くなった。
しかし、彼の友人や弟子がその仕事を続けた。
彼らは、3年後、彼の死を内緒にしたまま、大日本沿海輿地全図出版した ― 彼の名で。
美しい「伊能地図」は、明治時代を通じ、さらにその後でさえ、地図作りの基礎となった。

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posted by sakai shinji at 16:57 | Comment(0) | Polestar E.C.1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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