2015年05月16日

センター試験 英語 攻略


先日、「英文法・語法vintage」を見る機会がありました。
まったくわかりにくい解説です。
商品説明に40万人に支持されとありますが、この本は市販されていません。
つまり、高等学校などを相手に40万部売りさばいたということです。
すばらしい営業力ですね。
その儲け主義の筆者が、自ら失敗作と言うほどのものですから、相当なものでしょうが、相手が無知な高校ですから、文句もあまり出ないのでしょう。
 教科書から入試問題が解けるように、生徒を導くのが、教師本来の役割ですが、彼らにその能力はなく、そればかりか業者と癒着して19世紀の英語など未だに載せている粗悪な参考書を強制購入させるなど、たちの悪い権威教育に浸かりきって、感覚さえ麻痺してしまったようです。
高校で買わせられる参考書の量の多さは、業者との癒着度と教師の無能さの証ですよ。
自ら証明してしまいましたね。
それらの参考書が、そんなにいいものなら、生徒は殆ど皆合格ですよ(笑)。
 vintageの構成のように、何の脈絡もない短文を羅列し、その場しのぎの解説を付けたところで、英文が読めるようにはならないですよ。
なぜなら、意味は状況に埋め込まれているわけだから。
文中の用法が、どのような状況で使われたのかがまったく見えぬまま、その1文だけを理解できますか。
理解できたような気にはなるかもしれませんが、入試では役に立たないでしょう。
人から言われた通りに行動することと、自分の意志として内生的に理解認識し、行動することとはまったく別の話です。
 現代文で、文中の1文だけを取り上げて、その意味を云々したところで、その1文が文章全体の中でどのような役割を持つのかを考えなければ、文章読解などあり得ないですよ。
第一、参考書に時間を取られれば、教科書を読んだり、辞書を引く回数が減るではないですか。
それこそ学力低下の一因ですよ。
そんな当たり前なこともわからぬ程、高校の教師とはバカ者なのですかね。
関係者には失礼かもしれませんが、今の高校は学校というよりはカルトですから。
よその都道府県は知りませんが、少なくとも熊本はそうです。
入学をすすめられるような高校はありません。
癒着した業者の肥やしになりに行くようなものですよ。もはや檀家さんですね。
入学ではなくて、入信ですよ。脱退すべきでしょう。
さらに熊本は出身高校で人を差別するパーソナルハラスメントがまかりとおる県ですから、高校などいっそなくしてしまった方がいい。
ある企業などは、四高などという無いものを有るかの如くメディアを通して流し続けていますが、これは差別用語でしょ。なぜ規制が入らないのか不思議です。
差別された人の心にどれほどの傷を残すことか、考えたことがあるでしょうか。
まったく抽象度が低いとしか、言いようがありません。同じ県民として本当に恥ずかしい。
高校の職員も自分のやっていること、発言も含め、それらが汚職に当たらないかどうか、今一度、その薄っぺらな頭で考えてみるがいい。
 高校生諸君は、せっかく教科書や辞書があるのだから、出版社の営業マンと化した教師など相手にせず、辞書(英英辞典も)を引きながら、ひたすら教科書を読んだ方がいいですよ。
その方が背景がよく理解できて、入試程度の文法・語法は自然と身に付きますよ。
そうやって自然と身に付いたものだけが、入試で役に立つのです。
本来必要のない参考書に時間と金を使って、教科書も理解できていないようでは本末転倒ですし、浪人したって高校は面倒見ないでしょ。

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体調管理に 癌も克服 奇跡のハーブ iHerb アイハーブ
posted by sakai shinji at 14:57 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

Crown E.C.3 Lesson 10

ホールアースカタログ
 スタンフォード大学の率業式の式辞で、スティーブ・ジョブズは、1974年版ホールアースカタログの裏表紙にあった別れのメッセージ、「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ。」を引用する。
 1960年代後半から1970年代にかけて、スチュアー ト・ブランドによって発行されたホールアースカタログは、当時のアメリカカウンターカルチャーにすごく人気があった。
ブランドがNASAの地球衛星写真を見たとき、われわれの青く輝く地球は、宇宙の黒い空問と対照を成し、それは私たちの結束と特異性の視覚的証明であると思った。
宇宙から見ると、肌の色、宗教、国籍、富の差は無に収束する。
人類は奇跡的で繊細な生態系の小さな一部分にすぎない。
ブランドは、その写真は世界の人々の共同運命の力強い象徴であると思った。
彼や、彼の同世代の他の多くの人たちは、社会を環境的に維持可能で公正なものにしようと、社会の徹底的刷新に献身した。
 WECの創刊号で、ブランドは、「私たちは神のようであり、そのことに熱達した方がいい。」と書いた。
彼は、私たちは他者、つまり、政府、学校、教会に、何かしてもらうことを頼むことに慣れきっている、と続けた。
往々にして、結果は更なる問題を生む。
ブランドは、世界が個人力の時代に入っていくのを見ていた。
神のように、私たちには、自身の教育を行い、自身の霊感を見つけ、自身の環境を形成する力がある。
ホールアースカタログは、この過程を援助する道具を紹介していた。
 ステイーブ・ジョブズの世代、1960年代の世代にとって、情報は貴重な商品だった。
WECは、インターネット以前の、広告のないユーザーが作った内容のよい例だった。
 その世記の最も力をくれる道具、パーソナルコンピューターが現れたとき、ホールアースカタログは、最初からその発展に深く関与していた。
それは、デスクトップパブリッシングの最初の例のひとつであった。
スティーブ・ジョブズが言うように、それは、アメリカの若者世代全体にとってのバイブルだった。

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posted by sakai shinji at 08:45 | Comment(0) | Crown E.C.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月05日

Crown E.C.3 Lesson 9

1
 私たちはハーバード大学の教室にいる。
サンデル教授は、彼の学部のセミナ一受講学生と会っている。
きょうの議論は、クロサイを絶滅から救う市場計画についてだ。
2004年に、南アフリカ政府は、牧場経営者がクロサイを飼育し、裕福なハンターに料金を請求し、限定された数のクロサイを狩猟する機会を与えることを許可する法律を可決した。
進んで15万ドルもの料金を払ってクロサイを狩猟するハンターがいるため、牧場経営者たちは繁盛し、クロサイの個体数は増加し始めた。
 「したがって、」とサンデルは問いかける、「市場におけるアプローチは機能しているように思われる。逆説的なのだが、何頭かが殺されることを許可することによって、クロサイを保護しているのだ。そのシステムに反対する人は何人いるだろうか。」
 ニューヨーク出身の4年生、アリス・ワンは、この市場的解決に反対だ、なぜならそれは、「本来の目的を見失っているからだ、それは、これらの動物が生きて、存在することだ。」 と彼女は言う。
 サンデル:「しかし、もしこの結果として、ほんとうに個体数が増えたのならば?」
 ワン:「しかし、まだ生きているサイは、狩られる目的で飼われています。まるで鶏小屋のニワトリのように。」
 イングランド出身の4年生、イタ・ケトルバロウは、この議論を新たな段階に進めた、「私は、この惑星の生物多様性のような、価値あるものを守るために、私たちが見つけられるただひとつの方法が、それを商品化することであるというのは、悲しいことだと思います。」
 サンデル:「それで、なぜそれは悲しいのだろうか?」
 ケトルバロウ:「それはつまり、私たちが、私たちの価値の置き方をおとしめたこと、つまり私たちは、だれかの個人的な所有物にしなければ、価値あるものを何も本当に守ることができない、ということを意味しているからです。私を悩ませるのは、やがて私たちは、どんなことでも解決する唯一の方法は市場である、と考えるところまで行くかもしれないということです。その結果、私たちは、ほかに方法があることを忘れてしまうかもしれません。」
 サンデルは、アリス・ワンの、このようなサイは正確には野生ではないという主張を想起する。
「つまり、あなたの主張は、もしそれに値段が付けられて、そうした状況下で保護されるならば、クロサイの意味は変えられる、ということですね?」
 ワン:「その通りです。私たちは、クロサイに命があるという考えに価値を置くのであり、いまあるクロサイそのものに価値を置くのです。たった一頭のサイでも殺すことによって、私たちはそれ(私たちの価値の置き方)を損なっているのです。」
2
 マイケル・サンデルは、政治哲学が、経済学とどのように交差するかということに関心を持っている。
彼の新しい著作は、『お金で買えぬもの:市場主義の限界』と呼ばれる。
最近の雑誌の記事で、彼は市場と「市場価値」について論じた。
 「私たちは、ほとんどすべてのものが、売り買いされ得る時代に生きている。
過去30年間にわたり、市場、そして市場価値は、かつてないほどに私たちの生活を支配するようになった。」
 「冷戦が終わり、市場および市場価値が、商品の生産と流通を体系化するために選択された方法となり、そして、それらはまた、利益を生むということにおいても大変な成功を収めていた。
それにもかかわらず、世界中のますます多くの国々が、その経済運営において市場原理を採用していたまさにそのとき、なにか他の問題が起こっていた。
社会的な生活において、市場価値がどんどん大きな役割を果たすようになっていたのだ。
今日では、市場価値のシステムは、もはや有形の財貨のみにあてはまるものではない。
市場価値は生活全体を支配し始めた。
 「今日、私たちの市場への信頼は疑わしい。2008年の金融危機は、市場が倫理から遊離してしまい、私たちがなんとかしてこのふたつを再び結びつける必要があるという、広くゆきわたった意識を生じさせた。
しかし、このことがなにを意味するのか、また私たちはどのようにそれに対応すべきなのかは明白ではない。
 「市場的な考え方の中心にある道徳的な欠点は、貪欲さであり、それが過度なリスクデイキングという結果になったという人もいる。
解決策は、貪欲さを抑制し、銀行家たちに、より大きな責任を求め、再び同様の危機が起こらないように法律を制定することだ。
 「確かに、金融機関において貪欲さが役割を果たしたのは本当なのだが、一方で、もっと重大なことが問題となっていた。
過去30年間に起こった最大の変化は、貪欲さの増大ではなかった。
それは、市場、そして市場価値が、伝統的に非市場的な考え方に支配されていた生活領域へと達したことだった。
この状況を正すために、私たちは、単に貪欲さに異議を唱える以上のことをする必要がある。すなわち、市場はどこに属するのか、そしてどこに属さないのか、公の議論をする必要があるのだ。」
3
 「たとえば、営利のために運営される公共機関の増加について考えてみよう。
現在そのリストには学校、病院、そして刑務所が含まれる。
軍事活動でさえ、民間企業に委託されている。また、広告が公立学校にまで入り込み、スクールバスから食堂にまで達していることや、公園や公共の場への「命名権」の販売についても考えてみよう。
 「健康、教育、治安、国の安全保障、刑事司法、環境保護、娯楽、そしてそのほかの社会的財貨を配分するためのこれらの市場の利用は、30年前は大抵の場合、知られていなかった。
今日、私たちはそれらを大部分は当然のことと考えている。
 「なぜ、私たちが、すべてが売りに出される社会に向かって動いていることを心配するのか。
ふたつの理由のためである。 ひとつは不平等について、もうひとつは腐敗についてである。
まず、不平等について考えてみよう。
すべてが売りに出される社会では、生活は裕福でない人々にとって厳しい。
お金で買えれば買えるほど、裕福さ―あるいはそれが欠けていること―は問題になる。
裕福であることの有利さが、ボートやスポーツカー、贅沢な体暇を持てる余裕がある能力だけなら、収入や富の不平等は今日そうであるほど問題にならないだろう。 しかしながら、ますます多くのものが金で買えるようになるにつれて、収入や富の分配がより重要になるのだ。
 「私たちがすべてを売り物にすべきではないというふたつめの理由は、さらに説明が難しい。
それは不平等や公正についてではなくて、市場が腐敗を生じさせる影響力についてだ。
人生のよいものに値段をつけることは、それらを腐敗させることにもなり得る。
それは、市場が商品を分配するだけではなくて、やり取りされる商品に対する、ある特定の態度を表現し、促進するからだ。
子どもが本を読むようにお金を払うことは、彼らがより本を読むようにするかもしれないが、読書を喜びや成長の源泉より、むしろ労役と見なすように教えてしまうかもしれない。
自分たちの戦争を戦うために外国人を雇うことは、自国民の命を守るかもしれないが、国民であることの意味を損なうかもしれない。
 「経済学者はしばしば、市場は、やり取りされる商品に影響を与えることはないと考える。
しかしこれは真実ではない。
市場はその影響を残す。
ときには、市場価値が、大切にするに値する非市場価値を押しのけてしまう。」
4
 「私たちがあるものが売り買いされてもよいと決めるとき、それらを商品として取り及うことに問題はないと判断する。
しかし、すべてのものが、この方法で適切に価値付されるわけではない。
もっとも顕著な例は、人間である。 奴識制度は、非道だった。なぜなら、それは人間を商品として扱い、競りで売り買いできるようにしていたからだ。
そのような扱いでは、人間を尊厳と尊重に値する人として、その価値を認めることができない。
それは、彼らを利益獲得のための手段、そして利用する対象として見ることになる。
 「私たちは子どもが売り買いされることを許さない。養子縁組の手続きがどんなに難しくなろうとも、あるいは子どもを養子にすることを待ちきれない将来の両親に、如何にその意思があるとしてもだ。
子どもたちは、消費される商品としてではなくて、愛情と保護を受けるに値する存在として、適切に見なされるのだ。
 「また、市民であることの権利と義務について考えてみよう。 たとえ他人が投票権を買うことを切望しているとしても、私たちは市民が彼らの投票権を売ることを許さない。
なぜ許さないのか。
なぜなら私たちは、市民の義務は個人的な所有物ではなくて、公共の責任であると信じているからだ。
それらを売ることは、それらを誤った方法で評価することになる。
 「この世で大切なものの中には、商品になるとその価値が貶(おとし)められるものがある。
したがって、市場がどこに属するか、そしてどこでそれが距離を保たれるべきかを決めるために、私たちは問題となる財貨、つまり健康、教育、家庭生活、自然、芸術、そして市民としての義務をどう価値付けるかを決めなければならない。
これらは倫理的かつ政治的な問題であり、単に経済的な問題ではない。
それらに答えるために、私たちは、個々に、これらの財貨の倫理的な意味と、そしてそれらを価値付ける適切な方法について議論しなければならない。」
 ハーバードの教室では、サンデル教授がきょうの『正義』のセミナーを締めくくろうとしている。
彼は倫理的な問題を提起して、学生たちが解決方法を見出そうと奮闘しているのに辛抱強く耳を傾けてきた。
サンデルは彼自身の意見が議論の中に入らないようにしている。
学生たちは自分自身の道徳哲学を展開しなければならない。
サンデルは説明する。「道徳哲学は物語だ、そして、あなたはそれがどこへたどり着くかわからない。あなたが確かにわかっていることは、その物語はあなた自身についてのものだということだ。」
 学生のチェルシー・リンクは言う。「『正義』は、自分の考えをただ一度ではなくて、何度もかえて気持ちよく感じる、ハーバードで唯一の授業です。私は、本当に、本当に、本当に、わからないという不愉快な空間の中で過ごさなければならないということが好きなのです。」

あなたならどうする?
 マイゲル・サンデルの教授法は、学生たちに、自身の善悪の観念を精査せよと迫るような、倫理的ジレンマを提示するものだ。
 倫理的ジレンマとは、二つの可能性からの選択を要求するのだが、その二つの可能性は、どちらも悪いように思えたりする。
大方の場合、完全に正しい、または間違った解答はない。
人が選択する可能性は、その人の倫理的な考え方全体を反映している。
もっとも有名な倫理的ジレンマの一つに、「路面電車のジレンマ」がある。
 あなたは、路面電車を連転している。
 それ(路面電車)が、線路のカーブにさしかかると、5人の作業員が線路を修理しているのが見える。
 そこでは、線路が渓谷の中を走り、繰路脇の傾斜は険しくなっている。
 5人の作業員をはねないよう、あなたは路面電車を素早く止めなければならない。
 あなたはブレーキを踏むのだが、効かない。
 突然、右にそれる分岐線が見える。
 スイッチを切りかえ、分岐線に入れば、まっすぐ行った先の5人を救うことができる。
 しかし、その分岐線の先の線路に、1人の作業貝が見える。
 正面にいる5人の作業員と同様に、分岐線にいる作業員も、線路から逃れて助かるには問に合わない。
 分岐線に入れば、1人の命を奪うだろう。
 あなたがこの路面電車の運転手なら、どうするだろうか。
二つの選択肢しかない。すなわち、何もしないか、またはスイッチを切り替えるかだ。
行動してもしなくても、誰かが命を落とす。
 何もしなければ、事故が起きて5人が命を落とす。
スイッチを切りかえれば、その事故を避けられるが、その時は、必ず1人の命を奪う。
 そうなるとわかっていながら、別の人の命を奪うことは、果たして正当化できるのだろうか。
 5人の命を救うために、1人の命を奪うことはしないと言うのなら、50人の命がかかっても、そうするだろうか。5百人の場合、5千人の場合はどうだろうか。
 どうすることが正しいのか。

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posted by sakai shinji at 08:35 | Comment(0) | Crown E.C.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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