2012年11月12日

pro-vision Reading Lesson1

理解のための電子メール
p.7

オーストラリアで育って、私はペンフレンドが欲しかった。

私は13歳、ちょうど中学校がはじまったばかりで誰か話し相手が欲しかったのだ。

そこで私はインターネットで見つけたペンフレンドのサイトにアクセスして、ざっと目を通していろんな国々の同じ年の女の子を探した。

私はおおざっぱに書いた。

趣味、家族、オーストラリアについて教えながらスウェーデン、イタリア、アメリカ、フィンランド、それとエジプトの人にメールを送った。

一人だけ、エジプト人の女の子から返事があった。

e
メールの受信トレイを開いて返事を見たとき、控えめに言っても私は興奮した。
私は宗教や文化に関する知識が欲しかったが、何より友情と呼ばれる2人の人間の間の絆が欲しかった。

彼女の名前はノーラン・フセイン。

カイロの中心部のアパートに住んでいて、両親は医者だった。

ペンフレンドになれたらいいですと書いてあったが、私が男性なのか女性なのか、それだけ質問してきた。

彼女の母は、彼女に女性だけしかメールするのを認めようとしなかったのだ。

p.8

私たちは自分たちの生活の基本的なことを教えあうことから始めた。

始めたときから、頑固なところや怒りっぽいところなど、二人は似たもの同士であることが分かった。

徐々に熱くなって世界に関係する論点や問題へと話が及んだ。

私は彼女に彼女の宗教、イスラム教について質問し、やがてラマダンやその他の祝祭や習慣について知った。

最終的に、写真や小さなプレゼントを交換しながら普通の手紙でも文通を始めた。

世界規模の情報ネットワーク上で、何百万人もの人々の中から一番の親友を見つけたのは本当に驚きだった。

p.9

年月が過ぎるにつれ、私たちは互いに相談に乗り、秘密を共有した。

学校の生活からハリーポッターに至るまで多くの話題について話し合った。

私たちのeメールにはいつも強い感情があったが、相手の考えを改めさせようとしたことは一度もなかった。

私たちの友情は信頼と尊重の上に築かれた。この2つは良好な関係が拠り所とする基盤なのだ。

ある日、私たちの家族の2人の友達のバーバラとアランが、カイロはよく行くからノーランの所にも寄ってあげましょうかと言った。

彼らはまもなくフセイン一家と知り合いになった。

長いあいだ、彼らは郵便料金を浮かすためにノーランと私のプレゼントの交換を取り持ってくれたものだった。

p.10

ノーランの文化への関心が高まるにつれ、私は自分が人生においてどこへ向かっているのか自覚し始めた。

将来の進路をよく考え、いつか国連に入ることを心に抱いた。

いろんな文化や宗教の人々と一緒に働きたかったし、カイロのようなはるか遠くの地を訪れたいと思った。

私は自分がまたとない機会に恵まれていたのだと悟った。

知らぬ間に少しずつノーランが私を教育していたのである。

かつて私は無知でそれぞれに異なる意見の折り合いのつけ方を知らなかったが、ノーランのおかげで私は成長して人々をありのまま受け入れるようになった。

p.11

そして2001年の9.11が来た。

どういうわけかそれがノーランに影響を与えるだろうと分かっていた。

彼女にeメールを送り、この状況に対する彼女の意見やカイロの対処の仕方を聞いた。
彼女の返事は今でも覚えている。
アメリカ人の、そしてその他の多くのペンフレンドが彼女を見捨てたというのだ。

彼らはもう彼女を知ろうとしなかった。

なぜ?イスラム教徒で、中東の人で、姓がフセインだから。

とても腹がたった。

彼女を守りたかった。

人の心がこんなにも狭くなるなんて信じられなかった。

何で彼らはノーランが自分たちと同じただの15歳の女の子だと理解できなかったのだろうか?

メールは絶対止めないということ以外、彼女に何を話していいのか分からなかった。

どうしても。

ノーランにヴェールをかぶるといったようなことを聞いて怖くないのかどうかよく人に聞かれる。

怖くない。

p.12

私にとって質問をすることは理解への第一歩である。

しり込みしてあれこれ思うだけで、怖くて質問できなければ、私たちは無知や人種差別のような問題に陥ることになる。

本当のことを言えばノーランがうらやましかった。

彼女のイスラム教とエジプトへの信仰は固かった。

おそらくこれが現在の世界で起きている紛争の原因の一つなのだ。

お互いに妬みすぎていて、違う点を称賛しあってもいいのだということを忘れている。

あるいはそれこそ単なる考え違いだろうか。

ノーランと私は違う。

確かに私たちは相反する考え方をするが、相手が悪いなんて絶対言わない。

私は教科書より多くのことをノーランから学んできた。

いつかカイロのノーランの家の玄関に現れて、初めて彼女にハグすることを夢見ている。

あと、彼女にオーストラリアの景色を見せてあげたることも夢見ている。

しかし何よりも私は、人々が、私が経験したことを経験し、違っていても構わないこと、お互い恐れないこと、理解することを学ぶことを夢見ている。

p.13

13
歳のオーストラリア人の少女だったとき、私はペンフレンドが欲しいと思った。
私はいろんな国の女の子にメールを送り、一人の友達を見つけた。

ノーラン・フセインという名のカイロ出身のエジプト人少女だった。

メールを通じてノーランと私は知り合った。

その後、私たちは郵便で定期的にプレゼントを贈るようになった。

手紙もやり取りした。

ノーランと私は彼女の宗教も含めて世界的な問題について話し合い、時には議論した。

それからニューヨークの“9.11”テロ事件が起きた。

ノーランのほかのペンフレンドは、彼女がイスラム教徒であるという理由で彼女にメールするのをやめた。

私は彼女にその考えがどれほど不当であるか話し、絶対メールするのをやめないと約束した。

ノーランのおかげで私はオーストラリアの外の世界に関心を持ち、国連で働きたいと思うようになった。

他の人と違っていてもいいということを彼女から学んだ。

異なる宗教を持ったはるか遠くの友達が、自分自身と世界をよりよく理解することを教えてくれた。


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2012年11月14日

pro-vision Reading Lesson 2

宇宙からの手紙
p.19
スペースシャトル・アトランティスの乗組員は、打ち上げの3日前にヒューストンのジョンソンスペースセンターを離れ、飛行機でフロリダのケネディスペースセンターに行った。
打ち上げは定刻通り、夜、誰に聞いても壮観だったということだ。
2マイル離れた所で、当時14ヶ月の息子のジョンは妻の腕に抱かれていた。
打ち上げを目撃した他の人々のように、彼はシャトルがさらに上へ上へと昇っていくにつれ火の玉を目で追いかけた。
数分後、歓声を上げる群集が静かになり物思いにふけるにつれ、そしてすでに数百マイル先の軌道上にいるアトランティスが星の間に燃える小さな物体としてしか見えなくなるにつれ、彼は関心を失った。
p.20
シャトル内部では、乗り心地は噴火中の火山の上に座っているかのように激しく過酷だった。
ロシアの宇宙ステーション・ミールとドッキングしたあと、私たちは備品、実験装置、水、食料を宇宙ステーションに移し変えた。
ミールに乗り宇宙ステーションの一員として一緒になっていた二人のロシア人宇宙飛行士と共に、私はアトランティスが切り離されるのを見た。
巨大な宇宙船は私たちから離れていき、ついに視界から姿を消し、星の間に消え、地球の影の側へと入っていった。
自分のコンピュータを、ミールのコンピュータにも接続してある電子装置につないだので、実験を終えたらデータファイルを送ることができた。
1月半ば、息子ジョンへの最初の手紙を実験の膨大なデータファイルの末尾に付け加えた。
はるか下、モスクワの宇宙管制センターで、アメリカ人がロシアのスターシティに住んでいる私の妻と息子に手紙をメールした。
1997年1月23日、ジョンは宇宙から出された最初の手紙を受け取った。
p.21
1997年1月23日、親愛なるジョンへ
この宇宙飛行の前に、私はよき父になろうと、毎日お前に手紙を書こうと決めた。
これがその最初の試みだ。
お前がわずか1歳だということはよく分かっている。
私は他の得意げな父親がするようにお前の才能を過大視してしまうけれど、さすがにこれはまだ読めないだろう。
でもいい。読めるようになったら、父がお前を愛していると知って快く思ってくれるだろう。
宇宙飛行は危険な仕事だ。
以前は心配など決してしなかったものだ。
しかしこの打ち上げの直前、私は自分がまさにしようとしていることを疑い始めた。
分かるだろう。
今の私には失うものがとてもたくさんある。
お前とお前のお母さんだ。
私はずっと冒険が好きだった。
たしかオルトンとかいう名前の人が書いた推理小説を借り切って小学校の図書室を空にしたことを覚えている。
結末を読む前に、結末を解き明かしてみる。
出来事を観察し結果を予測してみる。
自分が普通ではない困難な状況にいることに気づいた人々について読み、彼らがどう対応するか見るのである。
p.22
とにかくあの好奇心が私をこの宇宙ステーションに連れてきた。
たしかに私は数々の学校に通ったし、米海軍ではかなりいい成績を収めた。
宇宙飛行士になるために、私はすべての志願する際の手順や面接を通過してきた。
しかし飽くなき好奇心という基本的な特徴こそが私を駆り立てそれらすべてを通過させたのだ。
宇宙はフロンティア。
私は探索しながらここにいる。
5ヶ月間。
何という名誉だ。
地球の上空で漂っているが、それでも私が地球人だと分かるだろうか。
別離の痛みや父である誇り、地球人のように妻から離れている夫の寂しさを感じる。
多分もう少し鋭く。
おやすみ。
お前を見守っている。
父より
p.23
1997年4月20日、親愛なるジョンへ
作業区域の前の壁にお前の写真を貼ってある。
大好きな写真だ。
お前の顔を見るのが大好きだ。
お前は何か新しいことをしたくてうずうずした顔をしている。
宇宙で生活するのは私にとって新しい体験だ。
環境に対する違和感は徐々に薄らいできた。
新人に会うこともなく、本当の昼や本当の夜を過ごすこともなしに、閉ざされた空間を漂い、飛び、そして生活することがもう普通のことに思えるまでになった。
ここが私の新しい世界だ。
今日、週に一回の地球の家族への電話の時間に、友人たちと話をした。
昔のことや宇宙遊泳のこと、ミシガンのどこかで集まらないかということを話した。
ここは今では私の世界であり、十分になじんでいる。
私はこの独特さを利用しようと、ずっと元気でいようと、毎日毎日仕事を継続しようとしている。
自分は何か大事なこと、何か重要なこと、一個人としての私よりもっと大きい何かをしていることを知っている。
伴う危険や私の個人的犠牲はそれに値すると知っている。
p.24
しかし友人との会話のあと、地球での生活が本当にどれほど類まれであり、素晴らしいものなのかということも実感した。
もしフラストレーションを解消したいなら、ゴルフをしに行ってもいい。
あるいは大きな木陰でただ座って新聞を読んでもいい。
あるいは庭で過ごしてもいい。
地球にいれば友人と一緒に時間を過ごして食事をすることもできる。
外に行って新鮮な空気を吸い込むこともできる。
家族と、お前と、お母さんと一緒にいることもできる。
p.24
地球のシンプルな美しさと地球が与えてくれるすべてのものを、もう二度と当たり前のものだと思うまい。
静かな夜を、穏やかさを、揺れる木々を、角氷を、気楽な日々を、そして遺書にいることを尊重しよう。辺境の地で生活すること、地球から遠く孤立することが私にこの教訓を授けてくれた。
おやすみ、ジョン。
お前とお前のお母さんを愛している。
二人がいなくて寂しい。
いい夢を。
父より。
p.25
私の最初の目標はロシアの宇宙ステーション・ミールとドッキングすることだった。
私はスペースシャトル・アトランティスに乗ってフロリダのケネディ宇宙センターを出発した。
ドッキングは成功し、大事な物を持って乗り移った。
ミール滞在中、私はモスクワの宇宙管制センターにデータを送り、ロシアにいる家族に週一で電話した。
子供のとき、私は推理小説を好んだ。
それを読んでいると、わくわくする難問とそれが解決される方法ついて知りたくなるのだった。
それと同じ好奇心によって─今度は宇宙のフロンティアだが─私は宇宙飛行士になった。
数ヶ月間閉ざされた空間に浮いていて、私は地球の喜びが改めて恋しくなった。
気楽な日々と静かな夜、いろんなことができること、見たり感じたりするいろんなことが恋しくなった。
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2012年11月23日

pro-vision Reading Lesson 3

過去、現在、そして未来

現在、よくIT、すなわち情報技術という用語が聞かれるが、この概念からは現代的なハイテク通信が連想される。
けれども人間は、当然ながら現在の衛星やコンピュータほど進歩してはいなかったとはいえ、情報を通信するために昔から技術を使ってきた。
実際、現在の情報革命は人間が経験したいくつかの情報変化のごく最近のものでしかない。
人間は地球上で生きてきた時間のほとんどを狩猟採集者として生きており、“文明”として認識される共同体で生活してきたのは最近の数百世代だけである。
狩猟採集者として、人間は約50人からなる小さな集団で生活していた。
当時、接触するのは通常同じ部族のメンバーだった。
情報はジェスチャー、あるいはひょっとしたら言葉を使って主に親やお年寄りから若いメンバーへと伝えられた。
集団から集団へと広まる情報が少なかったから、進歩は遅かった。

情報の共有が新しい水準に達したという最初の印は、早くも5万年にヨーロッパやオーストラリアの洞穴や岩の絵画から来た。
これらの絵画は象徴的な意味を持っており、おそらく初めは霊的な意味を表現しようとした物だった。
だとしてもそれらはおそらく同じ集団のメンバーでのみ理解される象徴的な形式で生じたから、人々の間で情報を共有する新しい技術だった。
同じ時代、技術の交換と共有を含む集団間の接触も増えたと思われる。
たとえば一つの集団で生まれた骨の針などは別な集団のメンバーによって研究され模倣されることもあった。
これが集団間の情報技術の最初の形式だったのかもしれない。
人間が他の集団との接触を増やし始めるにつれ、情報は友好的な方法(結婚)でも非友好的な方法(戦争の技術)でも共有され、これが技術の進歩を速めた。

集団間の交易が増えたため、記録をつける必要があった。
これにより情報技術の次の水準、書記の発明に達した。
情報共有のこの形式は、書いた人間と会わなくても細かい情報が伝達できたから、非常に大きな進歩だった。
これ以前、情報は口頭で伝える使者によって顔を突き合わせて、あるいは絵やのろしなど他の方法によって伝達しなければならなかった。
初期の手書きの文字のおかげで、特に紙が発明された中国では、遠くまで情報を伝えることが可能になった。
不都合な点はもちろんこの時代に文字を読める人がほとんどいなかったことである。
それでも書記は共有されうる情報の量と距離を大幅に増やしたので、情報技術においてきわめて重要で不可欠な行程だった。

情報技術で最も重要な発展は、インターネットや衛星よりもさらに重要なのだが、グーテンベルクの印刷機である。
1450年ごろグーテンベルクが印刷機を発明する以前は、書面情報はすべて手で書き写さなければならなかったが、ひどく時間がかかった。
印刷機の重要性はいくら大げさに言っても言い過ぎではない。
本や新聞などますます多くの印刷物が入手可能になるにつれ読み書きの能力を促したからである。
より多くの人々が情報を利用したので、新しいアイディアが生まれた。
このアイディアと情報の増加が16世紀に始まる情報技術革命へとつながるのである。
もちろん科学がなかったら現在の情報技術革命を支えてきたコンピュータや衛星もなかっただろう。

21世紀現在、情報技術の新しい水準にちょうど入ったところである。
私たちの多くがインターネットや携帯電話を使う一方、まだ本を読みもするし郵送される手紙を受け取りもする。
言い換えれば情報共有の古い水準から新しい水準への変化を体験しているのである。
新しい情報技術でとても印象的なことは、利用可能な途方もない情報の量と情報が見つかるスピードである。
何ヶ月か前、私は自分の書いたものを読み直していて、タイプして打ち込んだグーテンベルクの印刷機の年について不確かに思った。
そこで私はインターネット閲覧ソフトを開いて検索エンジンに“Gutenberg”という言葉をタイプした。
数秒で“1450”という正しい年が見つかった。
この簡単な例はインターネットの力とスピードを示している。

過去の革命と異なり、現在の情報技術革命はインターネットがほとんど無料であるため非常に多くの人々が利用できる。
現在の傾向からすると、情報のスピードと量は増し続けるだろう。
しかしながら、情報の増加が私たちをどこへ導くのは予測不可能である。
こんな増え方は過去に例がないからである。
とはいえますます多くの人々が新しい形式の情報技術にアクセスするにつれ情報の広まりが、従って知識が概して人々に力を与えるだろうことは明白である。
印刷機の発明から科学革命を予測することは誰もできなかったのと同様、現在の情報技術の進歩が私たちをどこへ導こうとしているのか誰にも分からない。

現在進行中の情報革命は数百年の“情報技術”における多くの大きな変化の一番新しいものである。
過去のほとんどは、人間は狩猟採集民であり、小さな集団を作って情報はジェスチャーで伝えていた。
これは遅くて、グループ内で共有される情報はわずかだった。
その後、道具を作ることが始まり、それによって、たとえば結婚や戦争など友好的・非友好的な方法で集団内の情報が共有されるようになった。
情報技術の次の段階はライティングの時代だった。
ライティングによって情報を遠くまで伝達することができるようになった。
さらに大きな段階が、グーテンベルクの印刷機だった。
これによって新興階級の人々が本や新聞を買えるようになり、彼らは字を読めるようになった。
現在私たちはインターネットや携帯電話を含む情報技術の最新の時期にいる。
情報はとても速くなり、そして初めてほとんど誰もが得られるようになった。

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2012年12月23日

pro-vision Reading Lesson 4

See the Light:電球を見る
p.43
「お茶はいかがですか?」
「ああ、はい。ありがとうございます。スペンサーさん。」キャシーは古い茶色の肘掛けいすの一つに座った。
彼女がせまいキッチンへとゆっくり入っていくのを見ていた。
何もかも古かったが、部屋は快適そうだった。
スペンサー婦人は2つのカップにミルクを入れた。
「ここにありますの。見たいですか?」
キャシーは立ち上がってキッチンに入った。
調理道具は時代がかっていて、ほとんど骨董品だった。
カップと受け皿も古かった。
「あれですか?」
「あれがそうです。」老婦人が言った。
「あなたの新聞社に手紙を送ってからすべてが始まったのです。
だからあなたにお電話を差し上げたの。」
「普通の電球に見えますが。」キャシーは言った。
彼女は頭上の電球を見上げた。
「分かっています。」老婦人が言った。
「でも本当のことなのです。ほら、私が書いた手紙がここにあります。」彼女はキャシーに新聞の切抜きを渡した。
それはイブニング・エコー紙のものだった。
日付は3週間前だった。
キャシーは記事を注意深く読んだ。
p.44
イブニングエコー 3月26日
読者の手紙
いい買い物をしました!
拝啓
先週、あなたの電球についての記事を読みました。
そちらの記者は彼女は家でいつも電球を取り替えてばかりいると書かれていました。
私の家のキッチンにも電球があります。
それは60歳なのです!
私はその電球をこの家に越してきた日に買いました。
結婚した2週間後のことだったのですが、先週が私のダイヤモンド婚式だったのです!
この間ずっと一度も電球は替えませんでした。
それはサンライト社の60ワット電球で、当時新品で2ペンスでした。
もちろん当時のものの方がよく作られていました。
今の新しいものはほんの数ヶ月しか持ちません!
敬具
モード・スペンサー(ミセス)
ホルドキャッスル クリミアロード 41番
p.45
「それで、あなたがこの手紙を書いたのですか?」キャシーは言った。
「ええ、そうよ。」老婦人が誇らしげに言った。
「新聞社に手紙を書くなんてこれが初めてなの。
ほら、私の名前がここ、下のところに。」
「たしかに。」キャシーは言った。
「でも分かりません。
なぜ私に会いたいと思われたのですか?」
「もう申し上げましたが。」老婦人が言った。
「すべてがこの手紙から始まったのです。
さあこちらへ、居間へどうぞ。
お茶をお入れします。」
キャシーは再び腰を下ろした。
「ビスケットはいかがですか?」
キャシーは微笑んだ。
「お構いなく。」彼女は待った。
「1週間後に彼らから手紙が来ました。」スペンサー婦人が言った。
「誰からの手紙でしたか?」キャシーは聞いて、お茶をすすった。
長い取材になりそうだった。
新聞に載せる話も出てきそうになかった。
しかしスペンサー婦人は素敵な老婦人だった。
「会社です。
どこかこの辺にしまっておいたのですが。」スペンサー婦人はテーブルの上の小さな箱の中を探し始めた。
キャシーはあくびをした。
腕時計を見たかったがそういうわけにもいかなかった。
暖炉の上の置時計は動いていなかった。
やっとスペンサー婦人が手紙を見つけ、キャシーに渡した。
p.46
サンライト電気会社
4月2日
スペンサー婦人様
先週、イブニング・エコー紙にてあなたの手紙を拝見いたしました。
あなたがサンライト社の電球を60年間もお持ちになっていて、いまだに明かりがつくと知り、大変喜んでおります。
電球を見にこちらの技師を一人向かわせたいと思います。
もしかしたら写真を撮って私どもの広告に使わせていただくかもしれません。
明日の午前11時ごろお電話いただけないでしょうか?
敬具
フィリップ・ボロウ(サンライト電気会社を代表して)
p.47
「素敵なお手紙ですね。」キャシーは言った。
「彼らは会いに来たのですか?」
「ええ、お見えになりました。」スペンサー婦人が言った。
「三人の方。
このバロウさんと、私は彼がまったく好きになれなかったのですけれどね、あと技師がお一人と広報担当の女の方です。
たしか彼女はそう言っていましたわ。
私は彼女も好きになれませんでした。
彼女はお茶も飲もうとはしなかったわ。
この家が不潔だと思ったようね。
嫌そうな顔をしていましたもの。
彼女が何を考えているかくらい分かりました。
でもウチのものは古いですけれど全部とっても清潔なんですよ。」
「それで何があったのですか?」キャシーは聞いた。
彼女はノートを取り出した。
興味がわいてきたのだ。
何はともあれ物語があるのかもしれない。
スペンサー婦人はいすから身を乗り出した。
「みんなここに来ました。」彼女が言った。
「バロウさんが電球のことを聞いてきました。
それから彼は技師と一緒にキッチンに入り、ドアを閉めました。
広報担当の女性は私と一緒にここにいました。
私はそれが嫌でキッチンに行きましたの。
技師が電球を取り外しているところでした。
電球をもとに戻してくださいな!と彼に言いました。
それはそうとしてね、バロウさんが50個ぐらい新品の電球の入った箱を持っていらしたの。
代わりに新品の電球を50個差し上げますとおっしゃるのですよ。
私が嫌だと申し上げたら彼らはみんな帰って行きましたわ。」
p.48
「話はそれでおしまいですか?」キャシーは聞いた。
「いえいえ。」スペンサー婦人が言った。
「次の日、バロウさんがまたお見えになりました。
手に1000ポンドの小切手を持ってね。
彼は電球を買いたがっていました。
でも私は売りませんでした。
お分かりでしょう。
あの電球は私たちと同じくらい長くここにあります。
ほとんど結婚指輪に近い物ですのよ。
バートも私と同じ気持ちでしょう。」
「バートさん?」キャシーは言った。
「私の夫です。」スペンサー婦人が言った。
「上にいます。
今は寝たきりのものですから。
歩けなくなって10年になります。」
キャシーは老婦人をまじまじと見た。
歳は80代。
家は貧しい。
それはキャシーにも分かった。
しかも寝たきりの夫を面倒を見なければならない。
しかしどういうわけかあの電球は彼女にとって大事なもの、1000ポンドよりも大事なものなのだ。
老婦人は不安げな顔をした。
「電話を差し上げなくてはなりませんでした。」彼女が言った。
「というのは昨日の夜、誰かこの家に押し入ろうとしたのです。
ここには何にもありません。
泥棒が持っていく物など何にも。
バートはあんまり眠れなくて起きていました。
彼は物音を聞いて大声を出したのです。
私も目を覚まして警察に連絡しました。
でも警察は誰も捕まえられませんでした。」
p.49
キャシーは興味を持った。
「その泥棒は電球を欲しがっていた、そうお考えなのですね?」
「そうは思いません。
私には分かるの。
バロウさんは今朝もまたお見えになりました。
今度は1万ポンド持っていらっしゃいました。」
「でもなぜ…?」キャシーは話し始めた。
「彼に聞きましたとも。
それがおかしな話なのですよ。
60年前どなたかが新型の電球を発明しました。
それは100年、もしかしたら永遠に持つ電球でした。
とにかくサンライト社がその電球のことを聞きつけて発明した方に何千ポンドも支払ったのです。
彼らはいくつか電球を作りました。
たくさんではありませんよ、ほんのいくつかです。
それから彼らは考えました。
永遠に使える電球なんて!もちろん、永遠に使える電球を買ったらもう二度と買う必要はないわけです。」
「商売になりませんね!」キャシーは言った。
「まさしくその通りです。
ウチの電球はその中の一つらしいです。
永遠に光る電球の一つ。
間違って工場に置きっ放しにされていました。
たぶんどなたかが間違った箱に詰めてしまったのでしょう。
よくは存じません。
でもサンライト社はとても欲しがっています。
他の電球は60年前に全部壊したのです。
計画もろとも。」
「何て話かしら…」キャシーは始めた。
「そういうことなの。
ところでバロウさんが電球を欲しがっていらしたわね。
またその電球を作りたいとおっしゃっていましたわ。
電気をあまり食わないから世界中の人がその電球を必要としているらしいの。
今度は電球を壊さないとおっしゃっていましたわ。」
「彼を信じるのですか?」キャシーは言った。
「どうかしら。」老婦人が言った。
「それであなたに電話を差し上げたわけです。」彼女はいすに深く腰掛け、微笑んだ。
「みんながあなたの書いた記事を読んだら、誰らはまたその電球を作り始めなくてはならないでしょう。
「そうじゃありません?」
p.51
1. キャシーはスペンサー婦人の家を訪ねた。
2. スペンサー婦人はイブニング・エコー紙に送った手紙をキャシーに見せた。
3. バロウさんがスペンサー婦人に電球のことで手紙を書いた。
4. バロウさんと技師と女性がスペンサー婦人の家を訪ねた。
5. スペンサー婦人がキッチンに入ると、技師が電球を外そうとしているところだった。
6. スペンサー婦人はその電球は彼女にとって特別なものだったので売らなかった。
7. サンライト社によると、彼らは他の永久に長持ちする電球と計画を60年前に破棄した。
8. サンライト社はまた永久に長持ちする電球を作りたがっているとバロウさんは言った。
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2013年01月13日

pro-vision Reading Lesson 5

ピカソ: 生涯若者
p.55
 パブロ・ルイス・イ・ピカソは91歳で死んだ。
だから君はなぜ私たちが彼を“世界で最も若い画家”と呼んできたか不思議に思っているかもしれない。
死ぬ直前まで、彼は絵の具と筆を手に取り、あたかも初めて物を見ているかのように新しい絵を描き始めようとした。
 それが私たちが彼を“最も若い”画家と呼ぶ理由である。
若者のように、彼は常に何かをする新しいことや新しい方法を試みていた。
その上、彼はしきりに実験したがり新しいアイデアを歓迎した。
彼は絶えず動き、生き生きとし、決して満足しなかった。
 年配の人々はしばしば変化を恐れる。
彼らはリスクを犯すよりはむしろ成功を繰り返すことを好む。
彼らは人生において地位を築き上げそこから離れたがらない。
彼らに期待できることはたかが知れている。
p.56
 90歳を超えてなおピカソは若者のように生きた。
彼は相変わらず新しいアイデアや彼の芸術家としての資質を生かす方法を探していた。
彼に次に期待できることは誰にもわからなかった。
もしも彼が君の絵を描いていたら、それは君にそっくりだったかもしれない。
あるいはすべて線や四角、丸、奇妙な色をした形状だったかもしれない。
それは全く人間には見えなかったかもしれない。
 ピカソの描く姿は同時に二つの方向を向いていて、目と鼻が変な所についていていることがある。
時として形が崩れている、あるいは壊れているように見える。
色調は荒々しく異常である。
絵のタイトルがそれが人間であることを教えてくれるが、より機械に似て見えるかもしれない。
p.57
 そんな時、ピカソは目で見たものだけでなく心で見たものも描こうとしていた。
彼は顔の正面だけでなく側面も描いた。
彼は裸体と身に着けた服も同時に描いた。
彼は時々それをまるで奥行きがないかのように平らなものとして描いた。
彼は単に自分の楽しみのために子供のように描くかに見えることもあった。
 「もし私が表現したいと思っていた題材が別な表現法を用いるよう促してきたことがあったら、私はその方法を用いるのを決してためらうことはなかっただろう。」と彼は言った。
言い換えれば、人の意見には構うことなく、彼はいかなるものであれ自分にとって最善だと思われる方法で絵を描いたということだ。
 ほとんどの画家は自分に合った画法を見つけ、それに固執する。
画家が成長するにつれ彼の絵は変わるかもしれないが、大きくは変わらない。
しかしピカソは自分独自の画法をまだ見つけていない者のようだった。
彼は自分の落ち着かない心の完璧な表現法を見つけようともがいていた。
p.58
 ピカソはスペインのマラガの気持ちのいい静かな街に生まれた。
彼の父は画家であり息子に絵の描き方を教えた最初の美術の教師だった。
 学校で、若いピカソは怠惰で先生の言っていることを聞かなかった。
彼は誰からの批判も拒んだ。彼は始めから自分に自信を持っていた。
しかし間もなくその少年が画家であり受けうる最高の教育に値することが明らかになった。
彼の最も初期の絵でさえ子供の作品には見えなかった。
 彼が人生で何をするか疑う余地がなかった。
ピカソは画家になるため生まれたのだった。
彼は最初の重要な作品『科学と慈愛』で賞を受賞したが、その時ほんの15歳だった。
彼はスペインのいくつかの町で美術を学んだ。
しかし知りたいことすべてを彼に教えてくれる人はいなかった。
19歳のとき、彼はパリに赴いた。
p.59
 当時パリは芸術家にとって世界の中心地だった。
多くの画家が絵を見たり学んだりするため、また他の画家と友達になるためパリに行った。
絵の世界における新しくて刺激的なことはすべてそこで起きているように思われた。
23歳のとき、ピカソはパリに戻り、残りの人生をずっとパリで過ごした。
 彼はすでに優れた画家だった。
彼は街路やレストラン、競馬場、闘牛場、サーカスといった都会の生活を描いた。
それらは明るい色調で描かれ見ていて美しいものだった。
p.60
 しかし無名の画家にとって生活は容易ではなかった。
これは新しい題材に現れ始めた。
数年間、彼は町のスラムの人々を描いた。
やせて、飢えて、疲れて、病気で盲目の男女を描いた。
色調は暗さを増していった。
これらの絵のほとんどは青みがかった色で描かれ、ピカソが見たこと感じたことを明確に示していた。
この“青の時代”の絵は哀れみと絶望に満ちている。
 ピカソは成功するまでさほどかからなかった。
彼が絵を売り始め画家として知られるようになると、その絵は暖かな表情を帯びた。
同時に彼はますます自由と独立心を持って描き出した。
彼は単純な姿かたちの点から人々や場所を見始めた。
もはや絵を写実的にしようとはしなかった。
 その結果生まれたものは初め奇妙で非現実的に見えた。
人間の頭、自然の風景、ありふれたオブジェをみな同じように描いた。
あたかも形がそれらに関する唯一重要なことであるかのようだった。
この画法は、多くの他の画家たちに広まったのだが、キューブの形からキュービズムとして知られた。
p.61
 ピカソはこの斬新で時としてぞっとさせる手法のせいでしばしば酷評された。
それは悪夢のような絵を生み出した。
彼の手法は現実をありのままに見せるものではなかった。
他方、カメラの発達により画家は自分の見たものを精確に描写する必要がなくなった。
絵はもう現実的でなくてもよくなった。
絵は今度は新しい別の役割を担った。
カメラのほうが現実をより精確に映し出せる。
偉大な絵が私たちにもたらすものは一人の人間の目を通して感じられる人生観であり、そしてどの人間の人生観も異なっている。
p.62
 ピカソの絵の中には豊かで柔らかな色彩で美しいものもあれば、くっきりとした黒い輪郭を持った醜くて残酷で奇妙なものもある。
しかしそんな絵は私たちに自分で物事を考えさせてくれる。
それらが自分の世界観をより鮮明にさせることがある。
それらは私たちに「何を見て彼はあんな絵を描いたのか?」と考えさせ、私たちが目にする物事の表面の下を見るよう強いる。
 ピカソはさまざまな手法で何千枚もの絵を描いた。
時に彼は物事の自然な見た目を描くことがあった。
また時にそれらを粉々にしてから人間の顔に直すこともあったようだ。
彼は目で見えることだけでなく心で知ることも示したがった。
彼自身、彼が若かった頃と同じくらい世界について好奇心旺盛なままだった。
p.63
 ピカソは91歳で死んだ。
それでも彼は世界で一番若い画家と呼ばれる。
なぜなら彼は新しい発想を試すことを決してやめようとしなかったからである。
ピカソはある芸術家の息子で、早い時期から才能を発揮していた。
彼は15歳のときに初めて受賞した。
8年後、彼は終の棲家となるフランスに移り住んだ。
初めのうちは彼の絵は明るくて暖かかった。
その後、彼は青味を帯びた色で悲しく貧しい人々を描き始めた。
これが青の時代である。
やがてピカソは目より心から来る特殊な形を用いて絵を描き始めた。
これがキュビズムである。
その後、ピカソは時には美しく、時には醜く奇妙に、いろんな画法で描いた。
彼の基本的な関心は人間の顔と姿だった。
人生を終えるまで、彼は物の表面の下にあるものに目を向けさせる驚くべき画法を試み続けた。
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posted by sakai shinji at 13:21 | Comment(0) | pro-vision Reading | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月26日

pro-vision Reading Lesson 6

批評的思考法と論理構成技術
あなたが誰であり何をしようとも、決定をしなくてはならない。
あなたは気付かないかもしれないが、習慣のように見える決定−朝、服を着るとき何を着るか決めるというような−も批評的思考と論理構成技術を必要とする。何を着るか決めるとき、多くの要因─天気予報、現在の気温、一日の計画(どこに行くのか?誰と会うのか?)、気楽さの程度(たくさん歩くのか?一日中座っているのか?)など─を考慮に入れる。
それ故あなたはすでにある程度、批評的思考の持ち主である。
しかし人生は複雑で、あなたは何を着るかということよりはるかに難しい決定に直面する。
どうやって対立を処理するのか?
問題を解決する?
危機を打開する?
道徳的、または倫理的な決定をする?
あなたが常に問題に対して正しい決定をする、あるいは最も効果的な解決法を見つけるという保証はないものの、あなたの勝率を著しく高める方法がある。
そしてそれは批評的思考法と論理構成技術を向上させることによるものである。

批評的思考法と論理的構成技術とは何か?
批評的思考法と論理構成技術を向上させるためには、これらが何であるのか正確に知る必要がある。
批評的思考法:
批評的思考法という言葉について少し考えてみて欲しい。
この語句は何を意味するのだろうか?
本質的に批評的思考法とは意思決定プロセスである。
具体的に言えば批評的思考法とは、最善の解決法を決定するために問題、主張、質問、場面を注意深く考慮することを意味する。
すなわち、批評的に考えるとき、あなたは時間を取って問題のすべての側面を考慮し、証拠を評価し、異なる筋書きと起こりうる結果を想像する。
これは大変な仕事のように聞こえるが、これと同じ基本的な批評的思考法はあらゆるタイプの解決法に適用することができる。
批評的思考法はあなたが以下のようなことを決定するのに役立つのでとても重要である。
・どうやって最もよく問題を解決するか
・主張を受け入れるか拒否するか
・どうやって質問に最もよく答えるか
・どうやって場面を最もよく処理するか
論理構成技術:
一方、論理構成技術は問題というA地点から解決というB地点に至るプロセスをより扱う。
あなたはそこに偶然たどり着くこともあるし、理由によってたどり着くこともできる。
理由とは何かの動機や原因である。
つまり、考え、行動、意見などの正当化である。
言い換えれば、あなたがすることをなぜしたり言ったり考えたりするのかということである。
しかし、今まで怒って何かをしたり言ったりしたことがあるなら分かるだろうが、あなたが物事をする理由は常に理性的であるとは限らない。
言い換えれば、論理構成技術はあなたに分別を用い、物事をする理由の根拠を感情だけではなく事実や証拠、理にかなった決定に置くよう求める。
あなたが場面を処理する最善の方法を決めたり問題に対する最善の解決法を決定したりするときは、あなたはその結論に達するもっともな(単に感情的というよりはむしろ)論理的理由を持っていたはずである。

論理と感情の違い
感情的なものがすべて合理的ではないと言ったら、うそになるだろう。
実際、決定をするとき感情を考慮に入れることは、まったく妥当である。
やはり、あなたがどう感じるかは、とても重要である。
しかし、あなたの決定に何の論理や理由がなければ面倒なことになるだろう。
たとえば、あなたが車を買う必要があるとしよう。
これはかなり大きな決定なので、賢明にやり遂げるのが重要である。
あなたは以下のことを確信する必要があるだろう。
・自分の意見を注意深く考慮する
・違った可能性や筋書きを考慮する
・最終決定を支持する論理的理由を持つ
生活スタイルや予算に最も合った車を選ぶ必要があるのは、自明のことに思えるかもしれない。
たとえば、あなたはスポーツカーが好きかもしれないし、スポーツカーを運転するのは楽しいかもしれないが、もしあなたに子供が4人いて予算が厳しいなら新たにスポーツカーを買うべきではない。
しかし、いろいろな感情的理由により、多くの人々がこうした種の賢明ではない、理性的でない決定をしてしまう。
彼らは批評的に考えたかもしれないが、それでも分別より感情を優先させたために間違った選択をしたのである。

決定を正当化する
あなたが批評的思考法と論理的構成技術を使っていることを確実にするのに役立つ一つの方法は、決定と行動を常に正当化することである。
なぜあなたはあなたがしたことをしたのか?
なぜそれが最善の解決法に思えたのか?
もっともありふれた決定や行動にさえこのことを試して欲しい。
あなたはそのときの意思決定プロセスを知るだろうし、そうすればそのプロセスのどこで最も効果的でいられるか決定できるだろう。

批評的思考法と論理構成技術はなぜ重要か
職場で、家で、学校で、あなたは批評的思考法と論理構成技術を要求される場面に直面するだろう。
これらの技術を向上させることによって、あなたはまさしくすべてにおいてあなたの成功を向上させられるだろう。
具体的に言えば、しっかりした批評的思考法と論理構成技術はあなたが以下のことをするのに役立つだろう。
・しっかりした、論理的な主張を組み立て支える
・他人の主張の妥当性を評価する
・より効果的で論理的な決定をする
・問題やパズルをより能率的かつ効率的に解く
ある意味、これら四つの技術のすべてはいわゆる問題解決場面と呼ばれるものに関わっている。
もし誰かがあなたの意見を変えたいと、そしてあなたに何かを分からせたいと思っているとしたら、あなたは“問題”を持つことになる、つまりあなたは自分の意見を変えるかどうか、他人の主張を受け入れるかどうか決めなくてはならない。
同様にあなたに選択肢があるとか、支持したい立場があるとき、あなたは異なるタイプの“問題”を持つことになる、つまりどんな選択をするか、どうやって立場を支持するかということである。
批評的思考法とは、最善の“解決法”を決定するために問題、主張、質問、場面を注意深く考慮する行為である。
論理構成技術は、批評的思考法と密接な関係があるのだが、あなたの決定の根拠を事実、証拠、理にかなった決定におくよう求める。
批評的思考法と論理構成技術は一体となってあなたがより賢明な決定をし、効果的に問題を解決するのに役立つ。
これらはあなたがよりしっかりした主張をし、他人の主張をよりよく評価するのにも役立つ。
私たちが何かをするときはいつでも、私たちは決定をする。
自分の決定が正しいものだということを確実にする方法はないものの、批評的思考法と論理構成技術を練習することによって正しい決定をする可能性を高めることができる。
批評的思考法とは、問題を解決し、主張を評価し、質問に回答し、場面を処理する最善の方法を見つけるプロセスである。
論理構成技術は批評的思考法の道具である。
これは私たちが自分の決定の根拠を感情ではなく事実や理にかなった決定におくのに役立つ。
論理構成技術はまた、私たちのした決定を正当化するのにも役立つ。
決定した理由を求めることでその決定を正当化することは、私たちの決定が正しいものであり、将来よりよい決定をすることを確実にするのに役立つ。
批評的思考法と論理構成技術は、私たちがしっかりした主張をし、他人の主張を評価し、よりよい決定をし、より効果的に問題を解決するのに役立つだろう。

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posted by sakai shinji at 23:50 | Comment(0) | pro-vision Reading | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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