2014年04月07日

Crown E.C.2 Lesson 1

アフリカの村の生活は非常に困難な場合がある。
多くの場合、電気や水道水はない。
十分な学校がない。
ある14歳の少年は、物事を変えようと決意した。
そして彼は、それをすべてひとりでやるつもりだった。
1
 ウィリアム・カムクワンバはマラウィの60家族が住む村で育った。
彼が13歳のとき、深刻な干ばつがあった。
彼は家族が一日に一食しか食べられなかったことを覚えている。
彼の家は授業料を支払うことができなかったので、彼は学校を中退しなければならなかった。
 ウィリアムは村の図書館で日々を過ごした。
彼はほとんど英語を読むことができなかったが、本で写真を注意深く見た。
彼は発電する風車の写真を見て考えた、「もしそれらが風から電気を作ることができるなら、僕もやってみることができる。」
 このような貧しい村の少年が、科学技術に興味を持つようになったことは信じ難い。
しかし、それはまさに、ウィリアムがやったことなのだ。
2002年、彼が14歳のとき、自転車や車の壊れた部品や、村の木からとった木材から風車を作った。
全体はがらくたのように見えた。
2
 近所の人は、ウィリアムを笑った。
彼の母親でさえ、彼は狂ったかもしれないと思った。
「私たちは、彼は役に立たないことをやっていると思いました。」と、彼女は言った。
 しかし、ウィリアムは作り続けた。
ついに、風車は、最初のテストを迎えた。
人々が辺りに集まった。
ウィリアムはタワーに登った。
誰かが、「この少年が、実際どれほど気が狂っているか見てみよう」と、言った。
 ウィリアムは車輪が回転するのを防ぐ針金を取り出した。
車輪とアームが回り始めた。
彼は覚えている: 「奇跡が起こることを、僕は待っていた。ついに、その時が来た。最初は小さな光で、その後明るく輝いた。」
 「少年がやってくれた。」と、誰かが叫んだ。
もはや誰も笑ってはいなかった。
 風車はウィリアムの家のそれぞれの部屋を照らすことができた。
彼らはそれ以上、ランタン用の油を購入することはなかった。
 「今、私たちの生活は、ずっと幸せになりました。」と、ウィリアムの母親は言った。
ウィリアムの風車のニュースは、彼の村を越えて広がった。
 2006年、ムチャズィーメ博士は、マラウィ人の教育者としてよく知られているが、風車のことを聞くと、数名の記者とのカムクワンバ一家の家へ車で出かけた。
彼はとても感銘を受けたので、ウィリアムを支援することに決めた。
ウィリアムの風車の報告書は、地元の新聞に掲載された。
すぐに彼の名声はマラウィ越えて広がった。
3
 2007年、ウィリアムは、タンザニアでの国際会議で講演するよう招かれた。
「僕は風車についての情報を得ると、やってみて、それを作りました。」と、彼はたどたどしい英語で述べた。
そこにいた人々は、彼に貧困へと戻って欲しくなかった。
彼らは彼を助けるために何ができるか、ウィリアムに尋ねた。
すると彼は、はっきりと答えた、「僕は学校に戻って風車の研究を続けたい、そうすれば家族は再び空腹にならずにすみます。」と。
 ウィリアムの名声は、アフリカを越えて広がった。
彼の話は、アメリカで最も有名な新聞の1つに取り上げられ、またアメリカのテレビで放映された。
 2009年、ウィリアムの話は、国際的に出版されている本に登場した。
 2010年に、彼はGO創造賞を受賞した。これは発展途上国の若い人々と、新しいアイデアやスキルの共有を促進するために与えられる賞である。
翌年、ウィリアムは、オンラインのグーグル科学フェアで講演するよう招かれた。
 ウィリアムは彼の支持者からたくさんの助けを受けている。
彼らは彼の家に新しい電線を引き、さらに彼が首都リロングウェの国際学校に行くための支払いもした。
4
 ウィリアムの風車は、彼の家族に、電気だけでなく、名声とお金ももたらした。
しかし、進歩には、技術的なことだけでなく、教育や人々の考え方の問題もある。
ウィリアムの村はまだ乏しい。十分な学校がまだない。人々はまだ科学より魔法や魔術を好む。
 村人のなかには、一家の富と名声に怒っている人もいる。
風車が、乾燥した土地にとても必要な雨をもたらす雲を、吹き飛ばすと考える人もいる。
風車が魔術だと考える人さえいる。しかし、ウィリアムは、作り続けている。
 今、彼は村全体に電力だけでなく、水をももたらす風車を建設しようと計画している。
それから、彼は国中の他の村に、もっと多くの風車を建設したいと考えている。
 ウィリアムは、政府や援助グループが彼らの救助に来るのを待っていられない、アフリカ人世代である。
彼らは自分自身の問題に対する解決策を見つけている。

 ヒッポ・ウォーター・ローラー
 毎朝、ウィリアム・カムクワンバ家の女性たちは、その日の家庭用水を得るための仕事を行う。
他のアフリカ村の女性と同じように、彼女たちは、頭の上に20リットルの水のボトルをバランスをとりながら、最も近い川や井戸まで、おそらく数百メートルを歩く。
彼女たちは、2、3回、もしかすると6回、往復するかもしれない。
彼女たちは自分たちの暮らしのため、水のボトルを運べるようになった時から、年老いて弱るまで、毎日これを行う。
 15年ほど前、南アフリカの二人のエンジニアが、村の女性たちが水を運んでいるのを見ていた。
彼らは、思った。「もっといい方法があるはずだ!」
彼らはエンジニアであったから、電気ポンプとパイプ、配管のシステムを考えた。
しかし、ここは、アフリカの未開地、誰にも電気や、ポンプ、パイプ、配管のためのお金などなかった。
それで、彼らは、水をポンプで上げる方法を考える代わりに、水を運ぶより良い方法を探し始めた。
 ヒッポ・ウォーター・ローラーのアイデアが生まれた。
 ヒッポ・ウォーター・ローラーは、筒状の容器で、90リットルの水が入り、ハンドルが筒の軸に取り付けられているので、地面を転がすことができる。
女性は頭の上で20リットルのボトルのバランスを取ることなく、地面の上を90リットルの水を転がすことができる。
 ヒップ・ウォーター・ローラーは、かなりでこぼこな地面の上でも、押したり引いたりすることができる。
ローラーの幅は、村人たちの家のドアの平均的な幅によって決められたので、ローラを家の中に入れて、安全に水を貯めることができる。
ローラーは簡単に傾けて水を注ぐことができるように、縁が丸みを帯びている。
 3万個近くのピップ・ウォーター・ローラーが、これまでサハラ以南のアフリカに配布されている。
 ウィリアム・カムクワンバの風車のように、ローラーは発展途上国の問題に対する、ローテック、ローコストな解決策である。
すなわち、生活を改善するため、簡単で地元にあった方法を探している人々のもう一つの例である。


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posted by sakai shinji at 00:50 | Comment(6) | Crown E.C.2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Crown E.C.2 Lesson 2

羽生善治は史上最大の将棋棋士の一人である。
彼は真に「将棋盤の王」である。
ここで彼は、プロ棋士としての経験について、インタビュアーと話している。
1
最初に将棋を覚えたのはいつですか?
 小学校の最初の年でした。
最初は、ほとんどすべての対戦で負けましたが、一ヶ月かそこらで、勝ち始めました。
2年目に、八王子の将棋道場に行きました。そこで私は子供のトーナメントに参加しました。
私は、最終戦への出場権を得られませんでしたが、対戦を楽しみました。
私はより良い棋士になりたいと思い、練習のために道場に通うようになりました。

あなたは将棋のどんなところが好きですか?
 子供の頃、それぞれ別々な動きをする、様々な駒で対戦するのが面白かった。
また、対戦の結果もとてもはっきりしていて、勝つか負けるかのどちらかです。
対戦全体は、原因と結果の過程であり、勝つも負けるも、自分自身の責任です。
もちろん、負けるといい気持ちはしませんが、将棋自体とても深いので、私はそれが好きです。
2 
あなたはプロとしての経歴では、対局の70 %以上勝利されています。
あなたは一手を指すときに、常に自信を持っていますか?
 どの一手を指すべきかを決めるのが難しいことも多々あります。
深く考える時間がないときは、駒に手を置いて初めて、次の一手が分かることさえあります。
これが、運が対局に降りたときです。
良い選択をするために、自分の一手を信頼します。
それで、あなたの質問に答えるなら、私が一手を指すとき、いつも自信があるわけではありません。

プロ棋士は、数百の手を前もって考えることができると聞きました。
その通りでしょうか?
 ええと、私はそれについてはそれほどはっきりとはわかりません。
ある棋士のグループが、10手先の対局はどのようになるか、予測できるかどうかを議論していました。
彼らは皆、できないということに合意しました。
将棋の対局では、一手指すごとに、決断する必要があります。
前に申し上げたように、完全に自信を持っているわけではありません。むしろ、おそらくこれが正しい一手であるというふうに考えています。
相手は今度は逆に、こちらが予期していない一手を指すかもしれません。そしてこの過程は、対局が終了するまで続きます。
最も重要なのは、決断力です。
3
あなたが決断を下すとき、直感に頼ることはありますか?
 はい、私は直感を信じています。
私の経験では、直感に基づいた一手の約70%が正しいことがわかりました。
多くの手を予想できることは重要ですが、もっと重要なのは、2、3の好手に注意を集中させることができるようになることです。
そして、そこが直感を必要とするところです。
でも、覚えておいてください。多くの経験を通してしか、直感は得られないということを。

あなたは過去の戦術を研究するのに多くの時間を費やしていますか?
 様々な戦術を学ぶことは重要です。
しかし、戦術を知ることと、対局で勝つこととは全く別なことです。
必要なことは、戦術の意味を真に理解することにより、知識を知恵に変えることです。

あなたはときどき予期せぬ一手で、相手を驚かせます。
それらは勝つのに効果的ですか?
 必ずしもそうではありません。
何か新しいことをしようとするなら、たぶん毎回50%以上の確率で失敗するでしょう。
安全策をとれば、しばらくは高い勝率を維持することができるかもしれませんが、今後10年間勝ち続けることはできません。
そして結果的に、創造力を失ってしまいます。
独創的なことをやってみる方が楽しいです。
4
私たちは皆、あなたが偉大な才能を持っていることを知っています。
あなたはご自分の才能をどう定義しますか?
 もし私に才能があるとするなら、それは忍耐力です。
一手を予測する能力やひらめきは大切ですが、将棋が上達するよう一生懸命努力することは、偉大な持てる才能です。

あなたは将棋に恋しているように見えます。
この対局の最も魅力的な面は何ですか?
 将棋の歴史の中で、何十万という対局が行われてきました、そして私たちは将棋の世界のほんの一部分しか知りません。
私は対戦するたびに、未知なる領域への旅へ出るように感じます。
そして、それが将棋の魅力です。

あなたはプロ棋士にならなかったなら、何をしていただろうと考えたことはありますか?
 私はまったくそれを考えたことはありません。
もし別の仕事をすることを余儀なくされたなら、私は1日タクシーの運転手になってみたいと思うかもしれません。
日々どこへ行くかわからないので、面白い仕事だと思います。

暮らしの指針となる座右の銘はありますか?
 「幸運は大胆な人に微笑みかける」です。

 コンピューター対プロ棋士
 コンピューターは、ボードゲームにおいて、人間より優れていると言えるだろうか。
チェスに関する限り、答えはイエスである。
1997年に、コンピューターのチェスプログラムは、グランドマスターであるガルリ・カスパロフ氏を、コンピューターソフトウェアのディープ・ブルーで破り、人間より優れていることを証明した。
将棋(チェスよりも複雑であると考えられるボードゲーム)ではどうだろう。
答えは、YesそしてNoである。
 2007年に、プロ棋士で永世竜王の渡辺明氏は、ボナンザ(前年の世界コンピューター将棋選手権で優勝したプログラム)と対戦した。
ゲームは、渡辺氏がコンピュータープログラムを破って終了した。
彼はコンピュータープログラムについて、「それらには、まだ開発の余地があると思うが、我々は、今やそれらが、プロにとって好敵手になる段階に達していることを認識しなければならない。」と、コメントしている。
 渡辺氏の発言は本当であることが判明した。
2010年、コンピューターシステムあから2010は、女流棋士の第一人者である、清水市代氏を打ち負かした。
清水氏は、「(私は)負けて、少しイライラするが、ソフトウェアの開発に関わった人々に敬意を払いたい。」と、述べている。
 2012年には、引退した、永世棋聖である米長邦雄氏が、ボンクラーズ(2011年に、世界コンピューター将棋選手権で優勝したコンピュータープログラム)の挑戦を受けた。
それは毎秒1800万手を読む能力を持っている。
米長氏は、かつて名声ある名人のタイトルを保持したので、将棋ファンがみなその対局に興奮したことは不思議ではなかった。
結果は、米長氏が、コンピュータープログラムに敗れた。
 米長氏は、コンピューターが、最終的には、最高の棋士を破るかもしれないと認めた。
しかし、彼は、将棋がその人気を失うことはないと考えている。
「コンピューターが、プロ棋士を破るか否かは、重要ではない。最も重要なことは、将棋の対局において、可能な限り最高の一手を見つけようと、努力し続けることだ。」と、彼は言う。
これは、人々を鼓舞するものである。
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2014年04月08日

Crown E.C.2 Lesson 3

2010年 6月
FIFAワールドカップ大会が最終段階に達したとき、スポーツライターたちは勝者を予想しようとしていた。
誰もパウルより予想の成績がいいものはいなかった、すなわち、彼はその時、100パーセント正しかった。
1
 ドイツ人がサッカーを愛していることはよく知られている。
ドイツのチームが、プレーオフ(優勝決定戦)へ近づくにつれ、緊張感は高まった。
6月13日に、パウルはドイツがオーストラリアを打ち負かすだろうと予測し、それは正しかった。
6月18日に、パウルはドイツではなくセルビアを選んだ。彼は正しかったが、グループステージの試合だったので、ドイツは競争に残っていた。
6月23日に、パウルはガーナではなくドイツを選んだ。再び正しかった。
パウルはドイツが戦ったすべての試合で、正確に勝者を選んだ。
 ドイツは6月27日にイギリスと戦った。パウルはドイツを選び、彼は正しかった。
7月3日に、ドイツは準々決勝でアルゼンチンと戦った。
パウルは再びドイツチームを選び、再び彼は正しかった。
 ドイツは準決勝まで進み、パウルはそれまで1度も間違った予想をしていなかった。
全世界がパウルの、ドイツ対スペインの準決勝戦の予想を待っていた。
2
 ドイツは、パウルに恋をした。
しかし、ドイツファンはまもなくショックを受けることになる。
スペインとの準決勝で、パウルはスペインを選んだのだ。
 ファンは激怒した。
パウルは死の脅迫を受けた。
刺身のように彼をカットし、夕食に食べたいと思った人さえいた。
 もちろん、スペインは喜んでいた。
スペインの首相、ホセ・サパテロが、死の脅迫のことを聞いたとき、彼はパウルにスペインでの安全な避難所を提供した。
 ドイツ対スペインの試合は7月7日に行われた。
 パウルは再び正しかった。
スペインが勝ったのだ。
彼は6回のうち6回とも正しかった。
ドイツファンは自分たちのチームが負けて悲しかったが、パウルの千里眼により深い尊敬の念を抱いた。
 パウルは3位決定戦でウルグアイではなくドイツを選び、彼は再び正しかった。
そしてパウルは、2010年FIFAワールドカップ決勝戦で、スペインがオランダに勝つだろうと最後の予想をし、彼は正しかった。
 パウルは、8試合連続の100パーセント正しい完璧な予想記録をつくった。
このパウルとは誰か?
そして、どのように彼はそのような正確な予測をするだろうか?
3
 あなたはおそらくすでに、パウルが誰なのか知っているだろう。なぜなら彼は世界で最も有名なタコとして有名になったから。
そう、パウルは普通のタコで、2008年に英国で生まれ、ドイツの海洋センターへやって来た。そこで彼は子供たちの人気者となった。
 タコは、脊椎動物と同じくらい知能が高い。
パウルは、特に知的だ。
彼は、ガラスびんを開けることを覚えて、水族館の職員を驚かせた。
しかしながら、知性は、パウルが勝者を選ぶことに成功することとは何の関係もなかった。
 予想の過程は、単に偶然だった。
パウルは、彼の好物である、ムール貝が入った2つの箱を与えられた。
それぞれの箱には、チームの国旗が入っていた。
最初にパウルがムール貝を食べた箱を、ゲームの勝者と予想することにした。
 8回連続して正しい予想をする可能性はどれぐらいだろうか?
データ分析専門家のホセ・メリダは、コインをぽんと投げる場合を用いてその確率を説明している。
178人のうち1人は、8試合のシリーズすべての勝者を予想する見込みが十分にある。
数百万人のファンが、ワールドカップの試合を予想しているので、8回とも正しい予想をした人が数千人いた可能性がある。
 パウルは注目に値したが、唯一ではなかった。
4
 人々が将来を予測する動物を研究することは奇妙に思えるかもしれないが、それはまったく珍しいことではない。
 古代中国では、亀の甲羅が研究された。
デルファイにあるギリシャの神殿には、預言するネズミがいた。
ローマ人は鳥の飛び方で将来を予想することができると信じていた。
最近では、レディー•ワンダーという名のアメリカの馬が、人々の将来についての質問に答えた。
科学者たちは、鳥や魚が地震を予測する能力があるかどうかを確認するため、それらの行動の変化を研究している。
パウルは、人々が将来を予想するように求めた最初の動物ではなかった。
 ワールドカップが終わると、パウルは彼の予想に対する報酬を与えられた。すなわち、リトルワールドカップと彼の好きな食べ物、ムール貝である。
その後、水族館はパウルがスポーツの予想から引退すると発表した。「パウルは彼の本業に戻ります。子どもたちを笑わせることです。」と。
 タコはふつう、2年ぐらいしか生きられない。
パウルは(タコとして)十分長生きし、2010年10月26日に水族館で安らかに永眠した。
彼らは彼の墓を示す小さな神社を建てている。
 サッカーファンはずっとパウルを覚えているだろう。

なでしこジャパンの勝利 全国民への励まし
なでしこジャパンは素晴らしく開花した。
女子ワールドカップでサッカーでの代表チームの勝利は、日本サッカーの歴史で最も素晴らしい業績である。
 日本は、決勝で米国をPK戦で制し、初めて世界チャンピオンになった。
なでしこはそれまで、米国を破ったことはなかった。
決勝で、米国(世界ランク1位のチーム)は、二度リードを奪ったが、日本がゲームをPK戦に持ち込んだ。
日本選手はPK戦の前に笑っていた。彼女らの回復力は、完全だった。
 アメリカ人は大きくて強いが、なでしこは、最後の力を振り絞って、決して諦めず、PK戦で勝利し、ワールドカップのチャンピオンになった。
彼女らはまた、フェアプレー賞も受賞した。
 日本のコーチ佐々木則夫氏は、「彼女たちは夢中で戦ってくれた。」と、選手たちを称賛した。
多くの人々が、おそらく、そのスリリングな試合をテレビで見て、同じように感じただろう。
誰もが、選手たちの身体的強さばかりでなく、精神的な強さに驚いた。
「私たちは走って走った。疲れ果てたが、走り続けた。」と、澤穂希選手(トーナメントのMVPで得点王)は言った。
 チームは試合後、ピッチの周りを歩きながら、世界中の人々が、東日本大震災の後の日本へ、支援してくれたことに感謝するメッセージを書いた巨大なバナーを掲げた。
アメリカのスター的フォワードであるアビー・ワンバックは、「多分、日本は、私たちの国が勝つために、私達を必要とした以上に、勝つために彼女たちを必要としたのでしょう。」と、述べた。
アメリカの選手は、ゲームに負けて失望したけれども、3月11日の災害を考慮し、結果はとても適切だと感じた。
 災害被災地には、「この勝利が、頑張り続けるよう、私たちを励ましてくれた。」と、言う人々もいた。
確かに、なでしこジャパンの偉業は、国全体を大いに励ました。
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2014年04月09日

Crown E.C.2 Lesson 4

貫戸朋子医師は、1993年にMSFに参加した。
彼女は、この国際的なボランティア団体とともに現場で仕事をした最初の日本人であった。
ここで彼女は彼女の体験について語っている。
1
 私は日本で医師として約8年間働いた後、さらなる研究のため、スイスに行きました。
私が、1971年にフランスに設立された非政府組織である、MSF「国境なき医師団」に参加したのは、そこででした。
MSFは戦争や災害の結果として、病気やけがをした世界中の人々を、彼らの人種、宗教、政治が何であろうと助けます。
 私は医師としてどうすれば他人の助けになるだろうかと考えていました。
私は、様々な文化や場所を見たいと思いました。
私は、MSFについて読んだことがあり、友人にお金を寄付していた人がいました。
私は、組織に参加したいという手紙をパリのMSF事務所に送りました。
彼らは承諾し、私はスリランカのマドゥ難民キャンプに送られました。そこでは戦闘が続いていました。
2
 マドゥには28,000人の難民がいた、しかし、小さな病院がたった一つあるだけで、そこには、たった二人の看護師、 二人のタミル人の医師、数名の通訳者と保健指導員がいるだけでした。
使える医療機器は、最も簡単なものだけでした。
私たちは古い医療機器でとても多くの人々を治療しなければならなかったので、悲しく感じる時がありました。
 私たちは、午前9時に診察を開始し、毎日およそ150人の人々を治療しました。
彼らはタミル語を話しました。
私たちは彼らに簡単な質問をし、何をすべきかを決めました。
午後には、病院の8つのベッドにいる患者を治療しました、通常は妊婦や赤ちゃんでした。
時々、私たちはマドゥから8キロ離れた小さなキャンプへ行きました。
私たちは、朝から晩まで働きました。
 マラリア、喘息、肺炎、これらの疾患が、最も一般的でした。
乏しい食料や水もまた深刻な問題でした。
10月に雨季が来て、下痢が増え、数名の子供を失くしました。
私たちはやってくるすべての人を治療しました、武器を持った兵士でさえ、彼らが武器をしまった後にのみ。
 私たちは安全だろうと言われていました。
しかし、夜には外出しないように命じられるときがありました。
私たちは、外出するのが安全であるかどうかを知るために、ラジオを聞きました。
3
私たちのマドゥでの仕事で最も困難だったことは、決断することでした。
私たちは、現地の状況を考えなければなりませんでした。なぜなら、西洋や日本の目を通して状況を見ることは、私たちを間違った決断へと導く可能性があるからです。
医療機器だけでなく、私たちの医薬品は、非常に限られていたので、起きたそれぞれの状況を見て、最も良い方法を選択しなければなりませんでした。
 私は、一人の女性が、5歳の息子を連れて私たちの病院へ来た日のことを、はっきりと覚えています。
私は、彼が手遅れであることが、すぐにわかりました。
私たちは、彼に酸素を与えましたが、彼は青白く、呼吸は困難で、酸素マスクは彼を不快にしました。
彼の様態は改善しませんでした。
私たちは、最後の酸素タンクを使っていました。
次のタンクがいつ来るのか、私たちにはわかりませんでした。
もし、酸素を必要とする別の人が来たなら、このタンクが彼または彼女の命を救うことができるかもしれませんでした。
私は決断をし、一緒に働いている看護師に酸素を切るよう、合図をしました。
看護師は、とてもそれをすることができませんでした。
私は、 5秒待って、自分でそれを切りました。
私はその子を神の手にを委ねるのが最善だと考え、そうしました。
それは正しい決断だったのか?
今もわかりません。
4
 マドゥでの6ヶ月はあっという間に過ぎましたが、それらは私の人生と仕事に真の意義を与えてくれたものとして、とても重要でした。
 MSFのようなNGOの仕事は、世界の多くの問題を解決するのに役立っていますが、やるべきもっと多くのことがあります。
より多くの日本人が、このような仕事を自ら進んで行い、より多くの世界を見て、助けを必要とする人々に深い同情心を持ち始めるようになるのが、私の望みです。
このようなボランティアに参加した人は、与えたのと同じぐらいのものを得られる、ということに気がつくでしょう。
私自身の場合、その経験は私の人生に方向性を与えてくれただけではなくて、人間として生きるとはどういうことかについて考える機会を与えてくれました。
私は再びMSFに参加し、 MSFがもはや必要でなくる日まで、彼らと働き続ける予定です。
無数の病人や負傷者が、今もなお世界中にいます。
 境界(国境)を越えていくには勇気が必要です、家族や友人は反対するかもしれません、でもそれはやるべき正しいことであると、あなたには思えるなら、あなたの心に従ってください。
あなたは自分自身が少数派であることに気づくかもしれません、でも自分自身に自信を持って、自分の信念を行動に移す勇気を持ってください。

 その他の見るべきもの トリアージ 
 貫戸医師は、マドゥの難民キャンプで、彼女が下した決断について話している。
彼女は瀕死の少年に酸素を供給するのを止めた。
これは貫戸医師個人として、とても困難な決断だったが、その決断を下すにあたって、彼女は一般に認められたトリアージの医療行為に従った。
 トリアージは、患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定する過程である。
トリアージは、すべての緊急患者を治療するのに十分な医師、薬、装置が存在しない場合、その治療を割り当てる。
 トリアージは、第一次世界大戦中のフランスの戦場で体系化された。そのとき、多くの負傷した兵士を治療する医師は、誰を最初に治療すべきかを、迅速に決断しなければならなかった。
「トリアージ」という言葉は、フランス語の動詞、「分離」または「選別」を意味する、トリアーから来ている。
 戦場で負傷した人を運ぶ医療従事者は、彼らを3つのカテゴリーに選別する。
(1) 治療を受けなくても、生きる可能性がある人。
(2) 治療を受けても、死ぬ可能性がある人。そして、
(3) 緊急治療が生死を分ける可能性がある人。
 第3のグループの兵士は、最初に治療を受けるべき負傷者だった。
 現代のトリアージは、第一次世界大戦のそれよりも、より洗練され、科学的ではあるが、医療施設が、地震や列車事故、それに類する災害による負傷者に、対応しきれない場合、治療の選別は、やはりなされなければならない。
災害に対して十分に対応ができ、多くの救助隊員が現場にいる場合は、医師や救急隊員は全ての負傷者を治療する。
しかし、20人またはそれ以上の負傷者を助けるために、1人か2人の救急隊員しか稼働できないような現場の初期段階では、第一次世界大戦時のトリアージ・モデルが使用されるべきである。
 貫戸医師は、悲惨な状況には直面しなかったが、それでも彼女は、限られた酸素の最良利用を決断しなければならなかった。
彼女は、トリアージ・ガイドラインに従って、救われるかもしれない他の人のために、瀕死の少年への酸素供給を止めたのである。
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2014年04月15日

Crown E.C.2 Lesson 5

世界中で携帯電話の急速な増加が、言語に影響を及ぼし始めている。
この新しいテクノロジーが、いかに言語変化を引き起こしているかを見てみよう。
1
 携帯電話の技術は、多くの点で、我々がお互いに意思伝達をする方法を変えた。
我々は、電車の中、仕事中、またどこにいても、常にメッセージを送信し、受信しているようだ。
最近の研究によると、平均的なアメリカの10代の若者は、1ヶ月に2779の携帯メールを送受信することがわかっている。
携帯電話を持っている世界の人口の半分以上の人にとって、ショートメッセージ、すなわち携帯メールは、今やグローバル化している。
 しかしながら、最近、携帯メールは私たちの言語を破壊するかもしれないと心配し始めている人々もいる。
“What RU sayin?”や“cu in 5 min?”のようなメッセージを受け取ったなら、あなたはどう思うだろうか。
これらのメッセージを賢いと感じるだろうか、それとも、それらはただの悪い英語であると思うだろうか?
あなたがそれを決める前に、携帯メールの特徴を、より詳しく見てみよう。
2
 携帯メールの特徴の一つは、略字の使用である。それは、beをb、toやtooを2、そしてatを@のように、単語や単語の一部の英字、数字、記号で表している。
それらはまた、一緒に用いられるかもしれない。すなわち、beforeはb4、atoms(原子)は@oms、そしてtoday は2dayといった具合だ。
 携帯メールのもう一つの特徴は、頭字語の使用である。
個々の単語の頭文字が使われる。Nはno、Gはgrin(笑う)、Wはwith、Yはyesの意味である。
それらは語句や文章中の単語にも使われる。すなわち、IMOはin my opinion(私の意見では)、NPはno problem(問題ない)、LOLはlaugh out loud(大声で笑う)、CMBはcall me back(私に電話をかけなおしてね)という具合だ。
 人は時々、途中の文字を抜いたり、また末尾の文字を省略することによって単語を短くする。
ふつう、子音よりは母音が抜かれる。すなわち、pleased(喜んで)はplsed、message(メッセージ)はmsg、texting(携帯メール)はtxingとなる。
単語の一部を省略する人もいる。すなわち、arriveをarr、dlfferenceをdlff、especitallyをespという具合だ。
携帯メールには奇妙な綴りさえ見られる。すなわち、thanxはthanks、thruはthrough、foneはphoneであろう。
 さらに、あらゆるタイプの特徴が一緒に使われると、新しい効果が生まれることもある。2bctndはto be continued(継続する)、cu2niteはsee you tonight(今夜会いましょう)である。
次の携帯メールが、あなたにはわかるだろうか。
 Do you want me to pick you up?
 I want to be with you.
 I want to see you too. I’ll wait for you at Hachiko at six.
 あなたは私に付き合って欲しいですか?
 私はあなたと一緒にいたいです。
 私もあなたとお会いしたい。6時にハチ公で待っています。
3
 なぜ人々は携帯メールでこのように書くのだろうか。
携帯電話のスクリーンは小さく、キーボードも小さい。
また、略語は物事のスピードを上げ、 そしておそらくお金も節約できる。
もし、単語が意味を失うことなく短くできるなら、これはプロセス全体のスピードを上げるだろう。
 もう一つの理由は、携帯メールが、ちょうど言葉遊びのようで、単に楽しいということだ。
ある人が1つの略語を紹介すれば、別の人がそれをうまく使うだろう。
IM0を基本として(私の意見では)、見られる。すなわち、
 IMH0 (私の謙虚な意見では)
 IHBC0 (私の謙虚だが、正確な意見では)
 IMNSH0 (私のそれほど謙虚でない意見では)
 言葉遊びの精神は、さらに進みさえする。
2001年、イギリスの新聞、ガーディアン紙は、第1回テキストメッセージング詩コンクールを開催した。
それは、携帯電話の画面に160文字以内で書くという制限の詩のコンテスト。
それは成功だった。
7500近い詩が送られて来た。
ガーディアン紙は、2002年にもイベントを開催し、次の詩が最初の賞を受賞した。
 I left my picture on the ground where you walk.
 So that someday if the sun was just right and the rain didn’t wash me away.
 You might see me out of the corner of your eye and pick me up.
 あなたが歩く地面に、私の写真を置いておきます。そうすれば、
 もし、太陽がほどよく、雨が私を洗い流すことがなかったなら、いつの日か、
 それまで目に止まらなかった私を見つけて、拾い上げてくれるかもしれない。
4
 携帯メールは、創造的であるかもしれないが、それは私たちの言語を破壊していないだろうか。
実際、携帯メールの言葉のほとんどは、長年使用されているように見える。
略語の使用は非常に古い。
午後を意味する、ラテン語のp.m.が、英語では早くも1666年には使用されていたことが知られている。
IOU(私はあなたに借りがある)は、1618年から使われている。
さらに最近では、FYI(参考までに)、ASAP(できるだけ早く)、M.D.(医学博士)がある。
同じことが、単語の短縮にも当てはまる。
単語は、英語が書かれ始めたときからすでに、短縮されてきたようだ。
exam(試験)、math(数学)、およびphoto(写真)のような単語が、新しい単語になっていることはよく知られている。
 携帯メールについて真に新しいものは、cu2niteのような文字の組み合わせの使用である。
大切なのは、携帯メール言語をいつ使うことができて、いつ使うべきでないかを学ばねばならないということである。
実際には、これはあなたが思っているより簡単である。
多くの人々が、子どもでさえ、聞き手の違いをよく認識しているようで、相手に合わせて、自分のメッセージを変えることができる。
 携帯メールが嫌いな人もいる。
それを愛する人もいる。
我々がどう考えようと、携帯メールは、創造的であり、新たな状況に言語を適応させる我々の能力の最新の例である。
携帯メールには、言語の進化を見ることができる。

新しい書道、東洋と西洋の架橋
 シュー・ビンは、中国で最も有名な国際アーティストの一人である。
彼は1955年に重慶で生まれ、文化大革命期を田舎で過ごした。
後に、彼は中国中央美術学院で学び、版画を専攻した。
長年米国で過ごすと、2008年に中国に戻り、現在、彼の母校の副学長をしている。
 シューはよく、彼が「収集アイテム」と呼ぶものを用いて制作する。
「私は、木の枝やごみなどの、地元の素材を使うのが好きだ。」と、彼は言う。
2011年、イギリスでの彼のインストールは、乾燥した植物や、丸めた紙や、その他彼がロンドン周辺から収集した、がらくたで作られた、古典的な中国の風景画の複製品であった。
 シューはまた、その書で知られている。
彼の「新英語書道」は、英単語を中国の筆使いで書くという形式である。
中国の読者は、これらの文字を見て、イライラしている。それはそれらの文字が読めそうで読めないからだ。
英国の読者は中国語のような書を見て、判読し難いとして、すぐにそれを退ける。
トリックが指摘されて初めて、彼らは実際にシューの書を読むことができる。
 しかし、それは単なるトリックではない。
時を経て、中国語では7つの主な書体が進化した。
20世紀半ばに、中国の人民共和国は、より簡単に読み書きできるよう略文字の新しい体系をつくった。
シューの新しい書道は、その変化の伝統に基づいている。
彼は英単語を、中国語でも英語でもない、両方が融合されたものに変換する。
 歴史的には、漢字は、中国人、日本人、韓国人の異文化コミュニケーションを可能にしてきた。
シューの新しい書道は、この伝統をローマ字で書かれた言語を話す人々へと拡張する。
 ここにシュー・ビンの新しい書道の例がある。
あなたはそれらを読むことができるだろうか。
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2014年04月18日

Crown E.C.2 Reading 1

 サンパワーカー
 下り坂のテレビニュース記者の生活の、ありふれた不愉快な一日だった。
 マルコムは、街への帰り道だった。
彼は空腹だった。
彼は、次に見えたレストランで止まろうと決めていた―それがどんなものであろうとも。
 「ヘレンのハンバーガー、街で最高のハンバーガー」という標識があった。
マルコムは、ヘレンの店は、この小さな街で、唯一のハンバーガー屋なのかもしれない、と、思った。
 彼は車を止めて、外へ出た。
彼がまさに中へ入ろうとしたその時、何かが通りを近づいてくるのが聞こえた。
自転車にしては騒がし過ぎるし、車にしては静か過ぎた。
彼は振り向いた。
 それは、彼の車の後に停まっている、1957年製のシボレーだった。
それは、50年経った車のわりに、状態が良かった。
しかし、その屋根には、奇妙な荷台があった。
 なぜ、エンジンはそれほど静かだったのだろうか。
それから、彼は、車の屋根の、平らなものが荷台ではないことに気づいた。それはソーラーパネルだった。
 つなぎ服を着た中年の男とTシャツを着た2人の若くてたくましい男が車から出て来た。

 レストランに入ると、1人女性が男のテーブルへ歩いて行った。
「いらっしゃい、ネッド。子供たちはどう?」
 「ああ、皆、元気だよ、ヘレン。」
 「そう、何食べる?」
 ネッドが、「いつもの。」と答えたちょうどその時、若い男の1人が、何か言おうとしたようだった。
 「わかったわ。」彼女は、キッチンにオーダーを通した。
「オニオンリングのハンバンガー3つ、バニラシェイク1つ、チョコレートシェイク2つ。」
 ドアのベルがチリンチリンと鳴り、1人の男がレストランに入ってきた。
「車に何をしたんだい?ネッド。」
 ネッドは微笑んだ。
「ついに成功したのさ、ジェイク。私の最もすばらしい発明だ。」
男たちは、もうしばらく、ネッドの車について話した。

 ヘレンは、マルコムの注文を取りに来た。
 「今日は何をお出ししましょうか。」
 「えー、今日は何がいいかな。」
 「あなたはこの辺りの人ではありませんよね。」
 「そうだよ、お嬢さん。」
 「でも、あなたは何て言うか(何らかの理由で)なじみの人みたいだわ。」
 マルコムは微笑もうとはしなかった。
「あなたは、12チャンネルのニュース見てる?」
 「ええ、時々。お好きに入りではないけど、…」
 「私は、12チャンネルの記者だよ。25年以上のそこにいる。」
 「あなたは、ニュースキャスター?」
 「いや、ニュースキャスターじゃない。ニュースキャスターならよかったが、なれなかった。ハンバーガー1つとフライドポテトとコーヒーをお願いするよ。」
 「すぐお持ちします。」 ヘレンは、振り返って向こうへ行った。
 「ああ、それからもうひとつ。もしよければ、あそこにいる男性のことを聞いてもいいかな。ネッドさん(のこと)。」
 「ええ。彼の何を聞きたいのかしら?」
 「彼の車はサンパワー使用だと、彼が言っているのを聞いたんだけど。」
 「ええ。すごいことじゃない。彼はついにやったのね。」
 「彼は、自分でそれをやったの?」
 「ええ。彼は、発明するのが好きなのよ。」
 「それは彼が生計のためにすることなの?」
 「いいえ。彼は農夫よ。でも、以前は飛行機会社で働いていたわ。それから、お父さんの農場を引き継いだの。」
 マルコムの口は水を飲み始めた。ハンバーガーとフライドポテトではなくて。
何て話だ。彼は考えた。どんな若い先端技術の天才より頭が良い農夫が、ここにいる。
彼は、57年型のシボレーで最初の実用的なソーラーパワーカーを作ったのだ!

 マルコムは、ネッドのテーブルへと近寄った。
 「おじゃましますが、あなたがご自分の車はサンパワー使用だと、おっしゃるのを聞いたのですが。」
 「そうです。」と、ネッドは言った。
 2人の青年は、腹いっぱいに詰め込みながら、同意してうなずいた。
 「それでは、それはバッテリーを使いますか。」
 「もちろん。暗いと運転できなからね。牛をはねるかもしれないし。」
 「あなたは、ヘッドライトを点灯させるためだけに、バッテリーを持っているということですか。」
 「それと、テールランプね。バッテリーは1つだよ。それで全部だ。」
 「御冗談でしょ。」と、マルコムは言った。
 「いや。本当に6ボルトのバッテリー1つさ。」
 「わあ。それは素晴らしい。見てもいいですか。」
 「いいですよ。さあ、いらっしゃい。」ネッドは立ち上がって、自分の発明品にマルコムを連れ出した。
 「これをご覧なさい。」と、彼はボンネットを開けながら言った。
 マルコムは、あごが下がるのを止められなかった。
ボンネットの下には、6ボルトのバッテリー以外何もなかった。
 ネッドはボンネットを閉じて、車のわきへ回った。
「後ろのここが、作動装置のあるところさ。」彼は後部座席のドアを開けた。
 マルコムは混乱した。「これは、何ですか。」
 「ここが、動力のもとさ。」
 マルコムは、もっと近づいて見た。
床は切り取られ、自転車のギアとチェーンとペダルが取り付けられていた。
 「私は、あなたがこの車はソーラーパワーで動くとおっしゃったと思ったのですが。」
 「ソーラーパワーだって?いいや、私は、サンパワーと言ったのさ。これこそ、息子で動く車だ。」
 2人の青年がヘレンの店から出てくると、後部座席の配置につき、ブーツをペダルに載せた。
 「えーそれでは、これは何ですか。」と、マルコムは、車の屋根のソーラーパネルを指さした。
 「ソーラーパネルだよ。」
 「それでは、なぜそれを使わないのですか。」
 「やってみたさ。でも、ヘッドライトを点灯させる電力しか得られない。」
ネッドは運転席に入り、ドアを閉めた。「さあ、行こう息子たち。」
 ネッドが道路へと車を操縦すると同時に、2人の息子はペダルを漕ぎ出した。

 マルコムは、首を振りながら、そこに立っていた。
彼は、自分がとても幸運であると思うほど、ばかでいるわけにはいかなかった。
彼はヘレンの店に戻って、食べ始めた。
 その時、彼にある思いが浮かんだ。
確かに、ネッド氏の車は、自分が思ったような技術的大発見物語ではなかった。
しかし、それは変わっていて素晴らしい人間的興味物語だった。
 結局、最低の日というわけでもなさそうだった。
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