2014年05月25日

Pro-vision E.C.1 Lesson 1

1
 私は作家で旅が大好きだ。十代のころからずっと、一人で旅に出ていたが、旅は私に実に多くのことを教えてくれた。
 私は、中学3 年の夏休みに、最初の一人旅に出た。
「1 週間くらい留守にするから。」と、私は家族に高らかに宣言し、東京から伊豆大島への夜行フェリーに乗った。
バックパックに、軽めの毛布が入っているだけだった。
私は何をしようと計画していたのか、今ははっきりと思い出せないが、野外で眠るつもりだったのだと思う。
 その旅は大失敗だった。
大島に上陸するやいなや、予想外の問題が起きたからだ。
私は不安にかられ、東京行きのフェリーで戻った。
24 時間以内に帰宅したことを、私はとても恥ずかしく思った。
私はなんと臆病者だったのか。
2
 18か月後、東北地方をまわる一人旅に出た。
高校2 年の春休みだった。
どうなったか分かるだろうか。
ええ、今回、旅は失敗ではなかった。
この旅は12 日間続き、私は思う存分楽しんだ。
実際、もっと旅を続けたいと思った。
「ああ、最初の失敗の経験が自分に力を与えてくれたのだ。」と、私は思った。
 その時以来、高校や大学の長い休みには毎回、国中を旅した。
卒業後、私はフリーの作家となり、ユーラシア大陸を1年掛けて横断する旅に出かけた。
私は世界中を旅するようになった。
3
 私にとって、旅は学校の役割を果たす。
私は、どんな場所でも、何かを学ぶことができるなら、そこは学校であると考えている。
旅をしていると、今まで見たこともないものを見たり、かつて経験したこともない状況に直面したりする。
ときどき、それは想像もしなかった試練として現れる。
でも、そうした試練に立ち向かおうとしながら、何かを一つずつ学ぶのである。
 たとえば、私は、知らない人とどのようにコミュニケーションをとるか、また、様々な状況にどう対処したらいいのか、を学んだ。
私はまた、人は如何に親切であり得、また、如何に不親切にもなり得るかを知った。
「世の中には、自分の知らないことがたくさんある。」と、私は思った。
「私たち人間は、何と小さな生き物なのか。」と。
4
 人は学校でたくさんの大切なことを教わる。
それらは、人生のいろはである。
しかし、他に何かある、そして、それは同じ様に重要であると、私は思う。
それは、「生きる力」と言えるかもしれない。
言い換えなら、世の中でうまく渡って行く能力である。
それは、人が未知の状況に出会ったとき、自分を助ける知恵である。
この能力を手に入れるたった一つの方法は、あらゆる学校で多くの経験を積むことだ。
もちろん、そうした学校の多くは、「学校」という名前では存在しない。
 この「生きる力」を習得させる教科書はない。
世界へと出て行き、自分自身の教科書を書かねばならない。


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Pro-vision E.C.1 Lesson 2

1
 12 歳になるキャサリン・スイッツァーは,家族と夕食をとっていた。
 「私はチアリーダーになりたいの。」と、彼女は言った。
彼女は、単に、そうすれば男の子の間で人気者になれると思った。
それは、彼女の年齢の女の子がよく抱く考えだった。
「そうだね、それも楽しいだろうが、お前はランニングのようなスポーツをするのが好きだろう。どうしてサイドラインの外から他の人を応援したいのかい。お前は自分自身を応援するためにグランドに出るべきだと思うよ。お前の学校には女子のフィールドホッケーチームがあるだろう。」と、父は答えた。
「ええ、でも、やり方が分からないの。」
「問題ないさ。でもまず体をつくらなければならないから、1日1マイル走ってみるのはどうかな。」
 キャサリンは、男の子ができることなら何でもできると思っていた。それで、次の日から走り始めることにした。
彼女は女子のホッケーチームに入る前、日々のランニングで、かなり体力がついていた。
ランニングはキャサリンの秘密兵器になりつつあった。
2
 キャサリンは1966年、シラキュース大学に入学した。
彼女はランニングを続けることを望んでいたが、大学には女子のランニングのチームはなかった。
キャサリンは男子クロスカントリーのチームのコーチである、アーニー・ブリッグズに会いに行くと、男子チームに入れてくれるよう頼んだ。
彼女の頼みは彼を驚かせたが、彼は彼女の決意に心を動かされ、男子と一緒に走ることを許すことにした。
 アーニーはボストンマラソンを15 回走った。
キャサリンは彼の話を聞いて、自分もボストンマラソンを走りたいと熱望するようになった。
しかし、一つ大きな問題があった。男性ランナーしか走ることを許されていなかったのである。
当時、女性には、フルマラソンを走るのに十分な体力はないと考えられていた。
 アーニーとキャサリンは、彼女が26.2マイル走れると確信できるまで、厳しい練習を続けた。
キャサリンが1967 年のボストンマラソンを走ろうと申し込んだとき、彼女は自分の名前を「K.V.スイッツァー」と書いた。
彼女は、アーニーと彼女の友人のトムと一緒に、走ることを認められた。
3
 雪の中、レースが始まった。
一人のカメラマンがキャサリンに気づき叫んだ、「おい、261番は女だぞ。」と。
すべてのカメラマンがキャサリンの写真を撮り始めた。
レース関係者の一人である、ジョック・センプルは、彼女の後を走って追いかけ、肩をつかみ、彼女を自分の方に向かせ、怒鳴った、「レースから出ていけ、そしてそのゼッケンを返せ。」と。
キャサリンは逃げようとしたが、彼は彼女のシャツをつかんでいた。
そのとき、体重235ポンドのトムが、ジョックに体当たりすると、ジョックは吹っ飛んだ。
キャサリンはとてもショックを受け、どうしていいかわからなくなった。
「行け、キャサリン、行け。」と、アーニーが叫んだ。
キャサリンは我に返り、走り続けた。
 彼女は、4 時間20分でゴールしたが、タイムは「非公式」と記録された。
彼女はボストンマラソンに出ただけでなくて、完走もした。
キャサリンの偉業は大きなニュースとなり、公的な議論が始まった。
人々は、「マラソンから女性を除外するな。」と、言い始めた。
4
 キャサリンは、この経験の後、自分ができることで最も重要なことは、スポーツ界の女性を助けるために働くことだと感じた。
彼女は他の女性に同じような扱いをされなくて済むようにしたかった。
 アーニーとキャサリンは、陸上競技クラブを結成し、女性に入るよう勧めた。
キャサリンはスポーツにおける女性の権利のために一生懸命働いた。会議を開いたり、女性のマラソン大会を始めたり、女性用のランニングシューズの開発を手助けしたりして。
ついに、1972 年、初めて女性が公式にボストンマラソンで走ることが許された。
「ついに私たちはアスリートになれた。」と、キャサリンは言った。
 彼女は自分に特別な才能があるとは思っていなかったが、アスリートになることができた。
彼女は、何千人もの他の女性も同じことができると信じていた。
「私はとても幸運だった、なぜなら私の両親とアーニーが、私に、やりたいことは何でもできると教えてくれたからだ。」
しかし、彼女には、すべての女性がそのような援助を得られるわけではないということがわかっていた。それで、彼女は女性を勇気づけることを強く望んだのだ。
「あなたに必要なのは自分自身を信じる勇気だけである。足を一歩前へ踏み出しなさい。空が唯一の限界(可能性は無限大)だ。」

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2014年05月26日

Pro-vision E.C.1 Lesson 3

1
 「10人のうち9人はチョコレートが大好きだと言う。そして、10人目の人は嘘をついている。」と、ある有名なフランス人の食通は冗談混じりに言う。
多くの人はチョコレートがお菓子の王様であることに同意する。
疲れているとき、休憩が必要なとき、欲しいのは、そう、チョコレートだ。
あの豊かな味わい、繊細な食感、甘い香り…これらのすべてが、リラックスを助ける絶妙のハーモニーだ。
 チョコレートは、ボンボン、板チョコ、クッキーなど様々な形をとる。
チョコレートの主な原料はカカオ豆だ。
これらは西アフリカやラテンアメリカの、暑くて湿気の多い地域で、主に生産される。
カカオがチョコレートに、あの素晴らしい独特な味わいを与える。
 人は時にチョコレートと共に、メッセージを送る。「ありがとう」、「ごめんなさい」、あるいは、バレンタイン・デーには「愛している」とも。
チョコレート―人はそれを愛さずにはいられない。
しかし、人々がどのようにしてチョコレートを食べるようになったのか、考えたことがあるだろうか。
2
 チョコレートの歴史は、中央アメリカの古代文化に遡る。
当時のチョコレートは苦い飲み物だった。
それは、挽いたカカオ豆に、水、トウガラシ、トウモロコシの粉、その他の材料を混ぜ合わせて作られた。
マヤ族、そしてその後、アステカ族は、チョコレートを聖なる飲み物として考え、また薬としても用いた。
アステカ社会では、チョコレートは主に支配者層に飲まれた。
カカオは貴重な食べ物だったので、お金としても使われた。
 スペイン人が、16世紀にアメリカ大陸に来たとき、この「チョコレート飲料」に出会った。
初め、彼らはその苦い味が好きでなかった。
しかし、彼らは、その飲み物を砂糖で甘くすると、それを好むようになった。
この甘いチョコレートはヨーロッパに紹介されると、すぐに裕福な人々の間で人気になった。
 19世紀に、チョコレートは多くの変革を遂げた。
バン・ホーテンというオランダ人が、チョコレートを粉末にする方法を発見し、これがチョコレートをさらに飲みやすくした。
その後、英国のある会社が、板状の「食べるチョコレート」の製造に成功した。
この固いチョコレートが大量生産されると、一般人も口にするようになった。
3
 何世紀もの間、人々はチョコレートを愛してきた。
しかし、チョコレートは、別な、暗い側面を持つ。
16世紀以降、チョコレートは、ヨーロッパでますます人気になると、それを生産するため、さらに多くのカカオが必要になった。
スペインや他のヨーロッパ諸国は、ラテンアメリカにカカオのプランテーションを作り、地元の人々を労働力として使った。
また、彼らは、何十万ものアフリカ人を、労働奴隷として自分たちのプランテーションに連れてきた。
彼らは後に、アフリカにもカカオのプランテーションを作り、地元の人々にそこでの労働を強いた。
 今日でも、それらの地域には、問題が残るところもある。
特に深刻な問題は、プランテーションで働かなければならないため、学校へ通えない子どもたちのことだ。
あるカナダ人ジャーナリストは、かつて、こうした子どもたちと、通学途中でチョコレートを食べる北アメリカの子どもたちの、大きすぎる差を、レポートしたことがある。
プランテーションの子どもたちの多くは、これまでにチョコレートを食べたこともなければ、見たこともない。
4
 チョコレートの3000年の歴史には、多くの、よい、悪い、話がある。
これまで学んだように、それは今も暗い側面を持つ。
一方、チョコレートは、人々の生命をよりよくする可能性を持つ。
科学は、チョコレートが人間の健康にとって有益であることを示している。
 カカオは血圧やコレステロール値を下げ、がんの予防にさえ役立つ。
オーストラリアの小児病院では、喘息で苦しむ子どもたちの治療の一助にチョコレートが使われる。
カカオのある成分が、肺の気管をリラックスさせる。
 チョコレートが人間の健康にどう影響するかの研究は、始まったばかりだ。
将来、チョコレートからより多くの恩恵が期待される。
チョコレートは、お菓子の王様であるばかりではなくて、大きな可能性を持った食べ物でもある。
それは、何世紀もの間、世界を喜ばせてきた、そしてこれからも私たちに喜びをもたらし続けるだろう。

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2014年05月29日

Pro-vision E.C.1 Lesson 4

1
 私がこれまで知っているセラピードッグの中で、最も優秀な1頭についてお話ししたい。
 ある日私は、数人の子どもたちが古い廃屋で、雑種の捨て犬とその5 匹の仔犬の面倒を見ているのを見つけた。
彼らは、犬たちがごみ置き場の段ボール箱の中にいるのを見つけたのだ。
私が初めて母犬のチロリを見たとき、彼女はとても汚れており、後ろ脚は変形していた。
 私は犬たちが心配で、たびたび会いに行った。
しばらくして、仔犬の面倒を見てくれる人たちを見つけたが、誰もチロリを欲しがらなかった。
 突然チロリがいなくなった。
誰かが彼女を見つけて、地元の動物収容施設に連れて行ったのだろうか。
私は確認するために駆けつけた。
「急がなければ、殺されてしまうかもしれない。」と、私は思った。
 案の定、チロリは檻の隅に、他の数匹の犬といた。
彼女は私を見ると、鉄格子に飛びついた。
その目は必死に、「助けて。死にたくない。」と、言っていた。
私は、鉄格子越しに彼女をなでたとき、彼女を救わねばならないと悟った。
 私がチロリを外へ出すと、他の犬たちは悲しい叫び声を上げていた。
彼女は突然後ろを振り向き、座り込んだ。
私は、チロリが彼らを残していきたくないことを知っていた。
「ごめんよ。」と、私はさびしく言った。「今は、おまえしか助けられない。」
2
 その頃、私のセラピードッグ訓練センターに、雑種の犬はいなかった。
ある日、私はチロリが病気の犬に寄り添って歩いているのに気づいた。
彼女は彼を励ましているように見えた。
私は、チロリを訓練して、セラピードッグにできるだろうかと思った。
私は、やってみることにした。
 チロリは訓練がつらいものだと知った。
彼女の変形した脚が痛むらしく、彼女はときどき3本の脚だけで歩いた。
しかし、私が歩くのをやめるように言うまで、彼女は決してやめなかった。
 彼女はまた、杖を使う人のそばにいるのが嫌だった。
彼女はいつも恐怖で震えた。
過去に誰かが彼女を棒で叩いたからかもしれない。
彼女が、その恐怖を乗り越えられるよう、私は杖を私たちの間に置き、チロリと寝始めた。
2か月ほど経つと、彼女は杖をまったく恐れなくなった。
 チロリは素晴らしかった。
訓練は普通約2年かかるが、彼女はとても利口だったので、僅か6か月でそれを終えた。
3
 私がチロリを病院や高齢者養護ホームに連れて行くようになると、彼女は患者に魔法の効力をもたらした。
患者がチロリを見ると、その顔は明るくなり、笑みがこぼれた。
多くの人が、チロリをなでて話しかけると、徐々に生きる意志を取り戻した。
 東京の繁華街で働き者の料理人だった長谷川さんも、その一人だった。
彼は、年を経るにつれ脚が弱り、黙って車椅子に座っているだけだった。
チロリは数か月間彼を訪問し続けた。
長谷川さんはゆっくりとその犬(チロリ)に心を開き、話しかけ始めた。
 「立ってチロリと歩いてみてはどうですか。」と、私はある日提案した。
 彼は立とうとしたが、すぐに諦めた。
 「彼女の助けがあれば、きっとできますよ。」と、私は言った。
 チロリは長谷川さんをじっと見上げた。
長谷川さんは車椅子につかまり、腕に全力を込めた。
彼は唸り声を上げ、膝を震わせたが、徐々に足で立った。
それから彼は、チロリと一緒にゆっくり前進した。
彼女は辛抱強く彼のそばにいた。
長谷川さんはチロリを見下ろして言った。「チ・ロ・リ、ありが・とう!」と。
この90歳の男性の目に、涙が浮かんでいた。
4
 チロリの成功は、私に野良犬が優秀なセラピードッグになれると確信させた、それで、私たちは、ほかの犬の訓練を始めた。
毎年日本では、何万頭もの捨て犬が殺されている。
それらのすべてを救えるわけではないが、私たちが救う、それぞれの犬が、この悲しい状況を変える一助となることを願う。
 現在、かつて身勝手な人々に捨てられた、多くの犬が、セラピードッグとして献身的に人々を助けている。
私は、これらの犬は、患者の苦しみや悲しみがよくわかると思う。なぜなら、彼ら自身が人生でつらい経験をしたからだ。
 チロリは、10 年以上もセラピードッグとして働き、2006 年にその生涯を閉じた。
多くの人が、彼女が自分を助けてくれたことに感謝した。
私は、初めてチロリと出会ったときの、彼女の目を決して忘れないだろう。
彼女は必死で生きようとしていた。
彼女は、たとえ困難な状況にあろうとも、決して生きることを諦めてはいけないと、私に教えてくれた。
 私は、もはや犬がひどい扱いを受けたり殺されたりすることなく、セラピードッグがあらゆる所の病院、学校、家庭に、幸せと希望をもたらす世界を見たいと思う。

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2014年06月09日

Pro-vision E.C.1 Lesson 5

 話す植物
1
 ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」には、言葉を話せる花が出てくる。
アリスという名の少女が、彼女に話しかけるユリに出会う。
アリスはとても驚いたので、何と言えばいいかわからないが、ようやく尋ねる。「花はみな話せるの?」
 人に話しかける植物は、空想の物語の中でしか見られない。
けれども、近年の科学的研究によると、植物が独特の方法で、周りの一部の昆虫と「交信」できることが明らかになっている。
それらはどのようにしてこれをするのだろうか。
例えば、トウモロコシは、イモムシに食べられているとき、空気中に化学物質を出す。
人間はそれに気づかないが、昆虫は気づく。
その化学物質は、イモムシの天敵、寄生バチを呼び寄せる。
これらのハチの助けで、トウモロコシは、イモムシによる被害を減らす。
その化学信号は、助けを求める声に例えられるかもしれない。
トウモロコシは、ある意味、自分を守るために「ボディーガード」を呼ぶのだ。
2
 トウモロコシは、様々な種類のイモムシに食べられるが、それぞれの種類のイモムには、特定の天敵のハチがいる。
身を守るため、トウモロコシは、自分を食べているイモムシの種類に応じて、異なる種類の信号を使う。
こうすることで、それらは、その特定のイモムシの天敵となるハチだけを呼び寄せる。
トウモロコシは、「私は今食べられている!」と、言っているだけではない。
それらは、また「誰が」自分を食べているかも言っている。
 トウモロコシによって発せられる化学信号は、様々な成分で構成されている。
それらの成分の混合を、様々に変えることによって、それらは多様な化学信号を作り、多様な種類のイモムシの攻撃に対処できる。
 トマト、リンゴ、マメのような他の種類の植物もまた、攻撃を受けると化学信号を発する。
オランダのワーゲニンゲン大学のマーセル・ディッケ教授は、「ボディーガードに話しかけるのは、たいていの植物種の特性であるようだ。」と、言う。
植物がそのように複雑な防衛システムを持つとは驚くべきことである。
3
 被害を受けた植物からの化学信号は、ハチだけではなくて、近くの植物にも受信される。
これらの他の植物は、「その会話を盗み聞き」している。
この現象を確認するため、京都大学の高林教授は、マメとダニを使って実験を行った。
教授は、ダニに食べられているマメの隣に、健康な(ダニに食べられていない)マメを置き、その2つを数日間そのままにしておいた。
その結果、健康な植物は、葉の中の防衛物質の生産を増やした。
つまり、健康な植物は、隣からの化学信号を受信して、ダニに対する自己防衛を始めたのだ。
 この種の植物間の「交信」は、異なる種類の植物の間でも行われているようだ。
ある研究では、被害を受けたヤマヨモギの近くにあるタバコが、防衛策を始め、イモムシからの被害を減らすことが伺える。
タバコは、ヤマヨモギからの化学信号を「聞いて」いるのだ。
4
 私たちには実際に聞こえないが、私たちを取り巻く環境は、植物と昆虫の「会話」に満ちている。
実際、自然界の多種多様な種が相互に作用しあっている。
 植物と昆虫の、これらの相互作用は、農業における殺虫剤使用の減少に役立つ可能性がある。
高林教授の研究チームは、寄生バチをヘルパーとして利用する方法を開発した。
彼らはそれを以下のようにする。
まず、彼らは被害を受けた水菜によって出される化学物質と同じものを作る。
その化学物質で、彼らは水菜で満たされた温室に寄生バチを呼び寄せる。
これらの寄生バチは、この時、温室内を「パトロール」して、イモムシを退治する。
「しかし、温室付近に天敵のイモムシがいなければ、この方法はうまくいきません。」と、高林教授は言う。
「私たちは、周辺地域に多様な種を維持する必要があります。」
 国連のある報告によると、主に人間の環境破壊の結果として、今や、毎年何万もの種が絶滅しているそうだ。
ひとたび、 1つの種が失われると、それは他の多くの種に影響を及ぼす。
もし私たちが、環境破壊を続ければ、ますます多くの種が絶滅するかもしれない。
そんなことが起きないように、私たちは自然界の「声」にしっかりと耳を傾けるべきだ。
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2014年06月10日

Pro-vision E.C.1 Lesson 6

1
 「風呂敷」とはどんなものか。
それは単なる正方形の布である、様々な使い方ができる。 それを様々に折り、また結ぶことで、とても便利なバッグを作り、色んな形のものを運ぶことができる。
例えば、丸いもの、四角いもの、長いもの、また幅の広いものなどだ。
風呂敷をほどけば、また使う準備ができる。
使わないときは、それは折り畳んで持ち運ぶことができる。
 風呂敷のデザインやそれらに使われる布の種類は、近年改良され、とてもおしゃれになった。
若者は、すばやく現代風風呂敷の魅力に気づいた。
彼らは、今や風呂敷をビニール袋に代わる「エコバッグ」として、あるいはノートパソコンを包んで肩にかけ運ぶのに使ったり、ヘアバンドにしたり、部屋の飾りにしたりしている。
現代の生活スタイルに合った新しい風呂敷の使い方が、次々に現れている。
2
 風呂敷は、日本で人気があるだけではない。
風呂敷の美しさと同様に、それらの考え方が、今や世界中に知られている。
 あるオランダのデザイナーは、一枚の風呂敷であらゆる使い方ができるという考え方に着想を得た。
彼女は、運びたい物に合わせて大きさを変えられるバッグを作った。
 イギリス政府は、過剰包装という国民的問題に対処する方法を検討し、風呂敷の環境にやさしい考え方を注意深く観察した。
政府は、包装紙やリボンではなく風呂敷でクリスマスプレゼントを包むことを奨めるキャンペーンを行った。
 2004 年にノーベル平和賞を受賞した、ワンガリ・マータイ氏は、日本を訪問した際、「もったいない」という考え方に感銘した。
彼女は、一枚の風呂敷に丁寧に包まれた贈り物を手渡され、物を大切にする日本人の精神を知った。
 風呂敷はもはや日本特有のものではない。
この伝統的な包み方を通して、世界中の人々が、今や資源を守る新たな方法を発見しつつある。
3
 風呂敷の歴史は、室町時代に遡る。
「風呂敷」という言葉は、もともと「風呂に敷く布」を意味した。
大名たちは、自分の着物を一枚の布に包み、風呂に入った。
風呂から上がると、彼らはその布を床に広げ、その上に立ち、着物を着た。
 江戸時代、銭湯に行く慣習が、庶民の間に広がり始め、彼らは風呂敷で着物などを包み風呂へ行き来した。
こうして風呂敷は人々の生活に馴染み深いものになった。
 19世紀後半から、風呂敷は贈り物としても人気が出た。
風呂敷の年間生産量は、1970年代までにはおよそ1億枚に達した。
しかし、時代が変わるにつれ、風呂敷を使う慣習は、失われ始めた。
日本は高度経済成長を経て、人々は、より西洋的な生活様式を望むようになった。
ビニールや紙の袋が、スーパーやデパートで使われ始めた。
人々は、新たな使い捨て文化の中で「もったいない」の精神を忘れ始めた。
4
 今後、世界の人口は増加し続けると予測されている。
経済成長を地球の保護と結びつける「持続可能な開発」の時代が来た。
 21世紀初めから、世界中の人々は、環境を守るのに役立つ3つの方法の重要性を知るようになった。
それらは3R、すなわち、Reuse(再利用する)、Reduce(削減する)、そしてRecycle(再生利用する)の頭文字として知られている。
ここで、風呂敷は私たちに、もう一つ、同じく“R”で始まる考え方に気づかせる。それは、物へのRespect(尊敬)だ。
 私たちの祖先は、生活の中でいつも物を大切にした。
彼らは、日本の限られた土地や資源を有効に活用した。
風呂敷は、過去から受け継がれた知恵の一例にすぎないが、今日の環境問題を解く鍵を与えてくれる。
私たちは価値ある伝統を生かしつつ、あらゆる地域の人々とそれらを共有すべきだろう。
このようにして、私たちの知恵は次の世代へと受け継がれる。
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