2015年04月25日

Crown E.C.3 Lesson 2

1
 90%の人々のためにデザインするということは、その地域の素材で、容易く作ることができるものを作ることを意味する。
添付されている写真は、このようなデザインのいくつかを示している。
 写真のデジタル・ドラムは、ふつうの道具を使って、ウガンダの自動車修理工場で組み立てられた。
それは、古い石油用のドラム缶でできているが、それらはしばしば単に捨てられてしまう。
それは、2台のコンピューターを備えていて、生徒たちに大人気だ。
 タンザニアでは、ほとんどの人が、電気のない生活をしているが、国民の3分の1は携帯電話を使っている。
この自転車を使った発電機は、携帯電話を充電するのに十分なパワーがある。
それは、自転車についているヘッドライトを点灯させるものとまさに同じだ。
これは、人々に本当の助力を提供する、単純で容易く作れるデザインの一例だ。
 貧しい人々にとって、大きな問題の1つは、冷蔵庫のない暑さの中で、食べ物を新鮮に保つことだ。
ナイジェリア生まれのこのポット・イン・ポット・クーラーは、多くのアフリカ人に対してその問題を解決する。
2つのポットの間に湿った砂を入れると、水分が蒸発し、小さいポットに入っている食べ物を冷やす。
 マラリアは、世界中の至るところで何百万もの人々を死に陥れる病気だ。
アフリカで、それはほかのどの病気よりも多くの子どもの命を奪う。
 マラリアを排除する単純でとても効果的なデザインは、殺虫剤で処理されたこの蚊帳だ。
それは、アフリカや、南米、アジアの至るところで広く使われている。
 世界中の貧しい人々が直面している最大の問題のひとつは、安全な飲料水を見つけることだ。
ガーナや、ナイジェリア、パキスタン、ウガンダで使われているライフストローは、どんな水も飲料水に変える。
それは多くの病気に効果的だ。
2
 90%の人々の暮らしを少し楽にし、もっと快適にするこれらのデザインに加え、実際に人々が貧困から脱するのを手助けするデザインがある。
貧困から抜け出すのに必要なこととはなんだろうか。
もっとも大切なことは、富を蓄積する方法を見つけなければならないということだ。
とても貧しいときに、どうすれば富を蓄積できるだろうか。
一つの方法は生産的になることだ。
 デザイナーたちは、農家の人たちが灌漑を利用し、収穫高を増すことで生産性が高まるよう手助けしようとしている。
伝統的な灌漑システムは、田畑全体を水で溢れさせ、生産性を高める。
しかし、それらは、世界の90%の人々が利用するのには適さない。
それらは、建築費があまりに高すぎるし、非常に多くの水を使うからだ。
貧しい農民たちは、伝統的な灌漑システムを手にするだけの十分なお金が全くない。
それどころか、十分な水がないのだ。
水は、開発途上世界では、不足している資源だ。
 アフリカとインドで、貧しい農民たちを助けている一つの考えは、点滴灌漑であるが、それは、小さなパイプを使って個々の植物に水をもたらす。
大規模な点滴灌漑は、イスラエルやヨルダンのような国々でうまく利用されている。
伝統的な灌漑システムよりもずっと安価だが、それでも1日2ドルで生活しようとする27億の人々にとっては、かなりのコスト高だ。
彼らには、小規模な灌漑システムが必要だ。
 写真の点滴灌漑システムは、小区画の土地用にデザインされ、3ドルしかかからない。
この3ドルでできる灌漑システムは、インドの多くの地域で農民たちに利用されている。
あるインド人の農民は、今や乾季には、以前よりも約7倍の稼ぎがあると言う。
点満灌漑は、人々が生産性と収入を高めることによって、貧困から抜け出す手助けをしている。
3
 富を蓄積する別の方法は、家を持つことだが、それは市場で売ることができるし、銀行からお金を借りるのに使うことができる。
1日2ドルで暮らす農村部の人々のほとんどが、実際に自分自身の家を所有していると知ったら驚くかもしれない。
しかし、これらの「家」は、たいていは土の床に棒と泥で作られた質素な住まいだ。
それらには市場価値はなく、だれも買おうとはしない。
 もし棒と泥の家を丈夫にすることができれば、それらはもっと価値が上がるだろう。
一つの考えは土嚢で家を作ることで、それは、棒や泥よりも長くもつし、れんがやセメントブロックよりもはるかに安く頑丈だ。
もう一つのかわりとなるものは、エコファブリックで、それは牛糞と泥から作られ、通常のれんがよりも軽くて頑丈である。
 それでは、「よいデザインとは何か?」という質問に、どう答えればいいだろうか。
一方では、デザインは、世界の人口の90%を占める裕福でない人々の真の要求を満たさなければならない。
デザイナーたちは、90%の人々の真の要求を理解しようとするのであれば、彼らがデザインしようとする製品を使う人々の生活を理解しなければならない。
よいデザインをするには、思いやりや共感が必要だ、つまり、他者の立場に立って考える能力だ。
よいデザインへの一つのかぎは、シンプルな考えと共感である。
 もう一方で、シンプルな考えと共感それだけでは、デザインが実際に90%の人々に受け入れられるという保証は十分でない。
その90%の人々には、別の判断基準がある。
彼らはそのデザインのシンプルさに感謝し、共感が嬉しいかもしれないが、デザインそのもののこととなると、たった一つのことが、最後には本当に重要だ、つまり、彼らはそれを持てる金銭的余裕があるか、である。
ある成功したデザイナーが言うように、「l日に2ドルも稼げない世界の27億の人々にとっては、値ごろ感が重要なのだ。」

誰のためのものでもないデザイン
 「誰のためのデザインか?」が、普段使う発明を特徴づける。
それらは、市場に出される高価なデザイナー・アイテムから、10パーセントの豪華なものまでと様々だ。
発明には、同時に、もう一つの区分がある。
これらの発明は、とてもばからしいので、世界にそれを欲しいという人が存在するとは、思い難い。
それらは、「誰のためのものでもないデザイン」と呼べるかもしれない。
動物の耳カバー
 あなたは、長く、へなへなした耳の犬を飼っているだろうか?
そして、それに餌をあげるとき、その耳にいつも餌がかかっているだろうか?
もしそうならば、あなたには、動物の耳カバーが必要だ。
ジェットエンジン付きサーフボード
 あなたが海に出ていると、サメが追いかけて来たとしよう。
ふつうのボードでは、サメの餌食になるだろうが、ジェットエンジン付きサーフボードなら、容易く逃げられる。
それでも、何かの理由で、ジェットエンジン付きサーフボードを実際に製造しようとした人はいなかった。
つるのない眼鏡を磁気によって人に装着するためのシステム 
 「つる」とは、眼鏡を顔に装着するための、耳の後にまわる小さい腕である。
つるは、装着者を不快にさせることがある。
このシステムでは、頭の両側に粘着磁石を貼る必要がある。
不快な眼鏡の簡単な解決法は、眼鏡を調節することである。
発明者は、実際には存在しない問題の解決法を発明するのに数年を費やした。
ワサビ火災報知器
 日本の科学者は、世界で最も変わった火災報知器を発明した。
うるさい警告音を発する代わりに、この火災報知器は、鼻を刺激するワサビの粉を発射する。
一体誰が、この発明を必要とするだろうか?
そうそう、高度の聴覚障害者、純粋に普通の火災報知器音がまったく聞こえない人はどうだろうか?
結局のところ、「ばからしい」発明の中にも、そうとは言い切れないものもあるのではないか。



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2015年04月23日

Crown E.C.3 Lesson 1

1
 ドナルド・キーンは、1940年にタイムズ・スクエアの書店で一冊の 『源氏物語』を見つけると、すぐに日本に心を奪われた。
 「私は読むことを止められず、ときには何度も何度も後戻りし、細かなところまで味わった。
私は、『源氏物語』の世界と自分白身の世界を比較した。
その本の中では、怒りは決して暴力に変わることはなく、戦争もなかった。
主人公の源氏は、ヨーロッパの叙事詩の中の主人公たちとは異なり、10人の男たちが持ち上げられないような岩を持ち上げることができる、肉体的に頑強な男として描かれてはいなかった。
彼は、深い悲しみを知っていた、それは、彼が政権を掌握するのに失敗したからではなくて、彼が人間であって、この世の生は必然的に悲しいからであった。
そのときまで、私は、日本を何よりも軍事国家だと考えていた。」
 海軍語学学校で日本語を学んだ後、キーンは第二次世界大戦中、太平洋地域で情報将校として従軍した。
彼の任務の1つは、文書を翻訳することだった。
それらの中に、日本の兵士たちによって書かれた手帳があった。
 「それらの小さな手帳は、日記であると、私は教えられた。
私がそれまで翻訳した印刷物とは異なり、その日記はときに極めて感動的で、最後の日々を過ごす日本人兵士たちの苦悩を記録していた。」
 「時折、日本人兵士の日記の最後のページには、英語でメッセージが記されていて、日記を見つけた米国人に、 戦争が終わったら、それを自分の家族に届けてほしいと頼んでいた。
そうしてはいけなかったのだが、私はその日記をとっておいた、兵士の家族にそれらを返そうと考えていたからだ。
しかしながら、私の机は捜索され、日記は没収されてしまった。
これはとても残念なことだった。
したがって、私が初めて本当に知った日本人は、これらの日記を書いた人たちだった、私が彼らに出会うときまでには、彼らは皆亡くなっていたのだが。」
2
 キーンは、戦争が終わると、アメリカに戻ったが、日本に魅了されたままだった。
1953年、彼は再び日本にやってきた、今度は京都大学で研究するためだった。
 「ある夜、 私は日本人の知人と一緒に先斗町を歩いた。
それはあまりに美しく、自分の眼が信じられないほどだった。
この狭い通りの両側にあるすべての建物は、日本様式だった。
それぞれの戸口には提灯があり、その通りを、金色の糸が暗がりできらきら光る着物を着た若い芸者が歩いていた。
先斗町は、日本文化のもうひとつの側面であるように思われた、それは女性的な側面で、すなわち関ヶ原とは反対のものだ。
その夜、それ(先斗町)は魔法のようだった、そして、それが近年どれほど変わってしまったかを見るのは悲しい。
 「龍安寺も近くにあった。
海軍語学学校にいたとき、私は、この寺の有名な砂と石の庭のことを聞き、それを見たいと思っていた。
ときどき観光客が来たが、どういうわけか石と砂の美しさは、観光客に予期される感嘆の声を静めた。
私は、月明かりの下で、その庭を見に行ったある夜のことを、とりわけよく覚えている。
私が、石と砂をじっと見ていたとき、多分深刻なことを考えていたわけではなかったが、そばで物音が聞こえた。
目を向けると、寺の住職の奥さんが、私のそばに1杯のお茶を置いたのだとわかった。
私たちは、しばらく話をした。」
 「京都についての私の思い出で、もっとも強いものは、実のところ日本すべてについて言えることだが、私が出会った人々、それは、友人になった人々ばかりではなくて、龍安寺の住職の奧さんのように、ほとんど知らないのに親切にしてくれた人々もである。」
 京都に滞在中、キーンは彼の『日本文学選集』をまとめた。
これは、世界中における日本研究の発展に大きな影響力をもつこととなる重要な著作である。
3
 2011年1月、コロンビア大学を退職した後、キーンは日本を自分の住まいとすることに決めた。
翌年、89歳で、彼は帰化した国民となった。
 「もし東日本大震災がなかったならば、私の日本国籍取得は新聞で数行の記事にしかならなかっただろう。
しかし、あの大災害が、私の個人的な願いに特別な意味を与えた。
私は多くの手紙を受け取った。
手紙をくれた人々は、私の日本に永住するという決断に励まされ、感銘を受けた。」
 キーンは、日本はこの大災害から復興し、以前にもましていっそうすばらしぃ国になだろうと信じている、戦後、日本がそうしたのと、まさに同じように。
彼は、1945 年12月におよそ10日間東京を訪れた。
残っていたのは、倉庫と煙突だけだった。
日本が、自らを再建するのに50年以上かかるだろうと言われた。
 1953年、キーンは日本に戻ってきた。
複興は、誰が可能だと考えていたのよりも速かった、日本は、まったく違う国になっていたのだ。
 1955年、キーンは東北を旅して、芭蕉の旅を辿った。
彼は、仙台が戦争でほぼ壊滅的に破壊されたが、再建されたことを知った。
キーンは、中尊寺も含めて、芭蕉が訪れた多くの場所を見つけることができた。
 2011年、キーンは震災の6か月後にその寺を再び訪れ、震災で家に損害を被った人々を含む聴衆に対して講演をした。
講演後、キーンがそれまでに会ったことのない年配の女性が近づいてきた。
 「彼女は私と提手をし、私は胸が熱くなった。
私は、私たちの握手が、私の生涯を通して日本とのきずなの象徴だと感じた。
私は、日本への深い感謝を感じた。
私は、このような人々と共に生き、このような人々と死を共有したい、私は、日本を愛し日本を信じているからだ。
私は、日本と共にありたいのだ。」

それは、英語ではどのように響くのか。
 ドナルド・キーンのような人々のおかげで、日本文学の多くは、現在英訳で楽しむことができる。
以下の日本文学の主な作品の一節の英訳を読んでみてほしい。
それらは、英語ではどのように聞こえるだろうか。
これらの一節を、それらの元となっている本と一致させられるかどうか見てほしい。
(1)春は、夜明け、ゆっくりと色あせてゆく山の縁が赤みを帯びる頃、空には微かに茜色から紫がかった一筋の雲が浮いている。
夏は、夜、月明かりの夜はもちろん、月のない暗闇でも、蛍が多く飛び交っているのは美しい。
また、たった一匹か二匹の蛍が、微かに光って飛んでいるのを見るのも楽しい。
夏の夜に降る雨も美しい。
秋は、夕暮れ、燃える太陽が山の縁にとても近づき、カラスが3羽4羽、2羽3羽と、寝床へ急いで飛んでいくのも感動的な光景だ。
それにもまして魅惑的なのは、遠くの空に、とても小さく見える、雁が列をなして飛んでいる光景だ。
そして、ああ何とも言えない。太陽が沈み、広がる暗闇の中に、風や秋の虫の音を聞くのは。
(2)月日は永遠の旅人である。
行ったり来たりする年もまた旅人である。
船に人生を浮かべ、あるいは馬を引いて歳をとっていく人は、永遠に旅をし、旅が彼らを連れて行くところが彼らの住む場所である。
(3)私は猫である。
まだ、名前はない。
どこで生まれたか、知らない。
私が覚えているのは、じめじめした薄暗い所でニャーと鳴いていたということだけだ。そのとき初めて、人間を見た。
あとで聞くと、それは一番獰悪な種族の一人で、書生といい、食事と部屋の見返りに、家の中の小さな雑用をする学生の1人であった。
時折、この種族は、私たちを捕つかまえて、煮て食うらしい。
しかし、その時は、そのような生き物に対する知識も全くなかったから、特に恐しいとも感じなかった。

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2014年08月26日

高校生の夏休み課題に思う Chemical Secret

 当然ですが、事実をありのまま認識できる人間などいません。
もしいたら、釈迦クラスでしょうね。釈迦になったつもりの人が多くて困ります(笑)。

平成以降、ますます腐食の色を濃くする県下普通高校、特に進学校など、
もはや論ずるに値しないのですが、敢えて論ずることが、
未だ洗脳、盲信の中にいる、哀れな生徒とその保護者にとって、
開眼の一助となれば幸いに思います。

これらは、あくまで当方が頭の中で思うことです。
少し長くなりますので、お付き合い頂ける方のみお読みください。

熊本県立済々黌高等学校は、出版社と余程癒着があるのか、
参考書だけでなく夏休みの課題まで、保護者に購入させる有様。

特定の参考書を生徒に購入させるなど、公務員のやることではないですね。
最近の公務員は、出版社の営業も兼ねることになったようで、
随分、仕事の幅が拡がったものです。

毎朝、早起きして、アルバイトもやってるみたいだし、さぞかし大変でしょう。
本業に支障が出ないといいですが、出ても気にならないのでしょう。
感覚が麻痺してますから。
夏休みの課題 Chemical Secret の主人公が、企業の恩恵を受けて、
徐々に感覚が麻痺していった様に・・・
公務員という恩恵を受けていますから、盲点だらけなのも無理はありません。
現に、定期考査の問題はギリギリまでできないし、採点もなかなか終わりませんよね。
それでも、アルバイトは続けますか。

授業の準備不足を誤魔化すために、
生徒に、次々と参考書を買わせ、その結果、何もかも未消化に終わり、
浪人する羽目になった人数を見るがいい。
不都合な真実でしょうが、無関心でいられますか。
もし無関心でいられるのなら、もはや教育者どころか人間ですらない。

現状は、教科書もままならない生徒が、殆どなはずです。
浪人生が、教科書の内容すらまともに答えられないからです。
教科書さえ、十分理解できていたら、通れたでしょうに。

教科書の内容を、あるときは具体化し、またあるときは抽象化して、
そこから入試問題が解けるように導くのが、教師の本来の役割なのでは。
その能力がないから、参考書に頼るのですか。
それとも、出版社の利権島に取り込まれましたか。
何れにしても高校がこのような状況なら、
生徒は自分の好きな参考書を買って、家で勉強した方がよほどましなのでは。

大学に通す術のない進学校に、通う意味ありますか。
生徒が高校に来ているのは、もはや気休めか世間体のためでしょう。
中には、中退して、高卒認定試験を経て大学へ行く人もいますね。
賢明だと思います。
大学に通りたければ、やるべきことが見えた時点で高校を中退するのがベターでしょう。
高校は認めたくないでしょうが。
自分たちの無能ぶりを、認めることになりますから。
しかし、認めたくないことを認めたときに、己の枠が広がるのではないですか。
枠とはまさに、認識の枠組みなのだから。
まだできませんか?できないからこそ、今の流れなのでしょうが。

この先、定員割れして、消失することもあり得ますよね。少子化でもあるし。
伝統に幕を引きますか。まぁ個人的には昭和で終わったと思っていますが。
昭和のラスト10年は、女生徒大好きエロ左翼、生徒人格無視の突発罵声癖極右、
コミュニケーション能力なしの人格障害的反面教師など、
教師は人間相手の職業であるという認識が、まるでないような、
弱い者相手に憂さを晴らす、終末に相応しい優秀な人材揃いでしたからね。
彼らの偏狭な認識の枠が齎した、非のない生徒に対する理不尽な諸行は、
その憂さ晴らしの的になった生徒に、永くトラウマを残すことでしょう。
高校の教師とは、その程度のものです。全員とは言いませんが。

そして平成になり現れた教祖と、その盲信者たちによって築かれ、
業者が票と引き換えに学校で商売ができるよう、
根回ししてもらったのが、今の体制というわけですか。
もはや高校とは名ばかりで、ただの檀家さんなのでは。

何れにしても、仮象、虚構の類は、いつか終わるでしょう。
現浪合わせて、その申し訳程度の合格者数を見ればいい。
場末の私塾以下ですね。
少なくとも、県を代表する進学校とは呼べないのでは。
鹿児島県の離島にある高校にも劣るように思えます。

現職員は、まず、ステルスマーケティングなどの姑息な手段で、
評価の仮象を創りだす、そのばかな参考書で勉強してみてはどうです。
授業で使っているやつですよ。参考書の紐ですね。

そして、実際、自分で大学を受験してみたらいい。
それで合格できるかどうかは、もはや確率論だということがわかるでしょう。
それだから、落ちる生徒もいれば、通る生徒もいるんですよ。
その参考書が、そんなにいいものなら、ほとんど通るはずでしょ。
まだ目が覚めませんか。あっ、感覚が麻痺してるんでしたね。

合格の秘訣は、高校で買わされた参考書をやらないことです。
当たり前ですよ。大学が入試問題を作ったり、採点したりする時に、参考書を基準にしますか?
むしろ、外してくるでしょ。参考書的な解答を、大学は一番嫌うのだから。
それに、入試問題で、教科書と矛盾する部分があれば、反論できますが、
参考書と矛盾する部分があっても、決して反論できませんよ。
こんな当たり前のことすら、未だにわからないですか?

参考書を全部覚えろ、なんて言う教師もいるらしいですが、
元々高校が買わせる参考書なんて、限りなくブラックでしょ。
入試でその参考書のコピペをやれとでも?
なんちゃって大学なら、それでもいいでしょうが、
学問を重んじるような大学なら、門前払いでしょうね。
コピペ答案がどれほど印象を悪くすることか。

ところで、落ちた生徒の予備校に掛かる費用、校長が出すんですよね?
当然ですよ。良くもない参考書を掴まされ、職員の稚拙なアルバイトにまで付き合わされて、
当然の如く落ちたわけですから。
予備校の金なんて安いものですよ。参考書に掛けた時間返せと言われたらどうします。
浪人しても高校時代の参考書を、経典でもあるかの如く、後生大事にしている人もいますが、
こういう人に限って、教科書もまともに読めないものですよ。
教科書に価値はなく、参考書にこそ価値が有るといった高校の洗脳にはまりましたか。
宗教辞めても洗脳が解けずに、宗教グッズを捨てられない人みたいですね。

というわけで、お盆休みに、Chemical Secret を訳してみました。
数研が、高校生の夏休み課題用に、こんなものまで出していたとは、さすが商売上手。
おそらく夏1度しか使わないであろうテキストに、715円+税ですか?
馬鹿でしょ。否々、馬鹿なんて言葉じゃ、甘いでしょ。
お金は木になったりしませんよね。どこまで喰い物にすれば、気が済みますか?
高等学校という名の、ブラック企業ですか?

夏休みは、生徒自身が、自分の現状を鑑み、自身の課題を見つければいいだけのことで、
別に、教科書の復習でも、授業で飛ばした所でも、何でもいいんですよ。
課題とは、管理のためにあるのではなくて、本人のためにあるのだから。
何でもかんでも統一するのは、宗教のやり方ですよ。
宗教法人としてデビューしますか。

模試は模試で、受けるかどうかもわからないうちから、代金だけは徴収するようですが、
ぼったくりバー以上ですね。
模試ごとに、希望者から代金を徴収するのが普通でしょ。
前もって徴収したらしたで、今度は模試が近づくたびに、模試を希望しない生徒は、
模試代を返金するから申し出るようにと伝えるべきでしょ。どこまでチョンボしますか。
それが面倒なら、模試なんて辞めたらいいんですよ。
模試など文科省学習指導要領にないのだから。

模試の結果を面談の資料にするなどと言っていますが、それって何か月前の模試ですか?
模試を受けていなければ、喋ることも見つかりませんか。
それじゃ、担任の意味ないでしょ。
そんな無能な担任に面談をしてもらうために、わざわざ仕事を休んでまで、
やって来るようなバカな親がいるのですか。
行きたい人はいいですよ。どうぞ行ってください。

生徒も休みの日に模試を受けるのなら、私服で行けばいいんですよ。
その日は就業ではないのですから、部活と一緒ですよ。
そんな度胸?も、今時の高校生にはないでしょうね。

高校で模試を強要された話はよく耳にしますが、事実なら立派な汚職ですよ。
模試とは、文科省とは何の関係もない営業行為ですから。
それを強要するのなど職権乱用もいいところです。
もし組織的にこれをやっているとすれば、組織的な汚職と言えるでしょう。

ところで、模試業社から入る手数料と、その使途は、勿論帳簿に記載されてますよね。
もし、記載がなければ、裏金ですものね。
間違っても、校長OBに流れているなんてことありませんよね。

最近の高校は、金の掛かる方向にしか行きませんね。
これだから、高校生の地頭も、教員並みになるのでしょう。
登下校時に自転車で、道路をオープンコースみたいに走っていますが、
それじゃあ、出会い頭に衝突することぐらい、容易に予測できると思いますが。
キープレフトで走行しているものにとって、いい迷惑ですし、
その為体は、馬鹿っぽくて目の毒ですらあります。

高校に入学してすぐに、高校生の自覚を促すため、などと言って、
家庭の機能を一切無視して、民間のホテルに、新入生を宿泊させているようですが。
それって公務員のどういう権限か知りませんが、釈迦にでもなったつもりですか。

釈迦ですら、修行のため、他から施しを受けることになった、己の認識の愚かさを悔悟し、
非日常的修行など、何の役にも立たないと言った(らしい)のに。
それこそが、大乗だったはずなのに。
現代の仏教は、戒名だとか、お位牌だとか、
釈迦の教えとはまったく無関係の、ビジネス仏教と化してしまいました。
人類は2千6百年掛けて、退化したのですね。

同じくその非日常的な宿泊研修の結果、自転車には乗れても、道路交通法は理解できないのですから、
小1並では?その研修意味あるのですか?
その意味のない因習のために、保護者に何万負担させますか。
不参加は欠席扱いらしいですが、文科省決定ですか。
校長OBを伺って、辞めるに辞められませんか。
現代の仏教と同じように、このままビジネス高校を続けますか。

こんなオカルチックビジネス高校の下請け業みたいなことはやりたくない訳で、
当方の訳に多少の不備があっても、突っ込まないようにお願いしますよ。
突っ込むべきは学校本来の機能を亡くした、平成の四大宗教が如き高校の方ですから。

保護者は檀家さんじゃないのだから、次々に高くて役に立たない壺買わすようなことやめてもらいたい。
新作が出たら、前作の価値はありません、ご利益期限切れです、みたいな。
新作と言っても、新しくなったのは、外箱だけみたいな。

保護者も、もうちょっと目をお覚ましになっては如何ですか。
「新興宗教が生まれやすい土壌」を自ら作り出していることに気づくべきでしょうね。
「あなた何教?」「宗派どこ?」「うちの宗派こそが正しい教えですよ。」みたいな。

以上、当方が勝手に思うことでした。
お読み頂き感謝致します。
体調管理に 癌も克服 奇跡のハーブ iHerb アイハーブ
posted by sakai shinji at 12:29 | Comment(0) | chemical secret | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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